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杉浦日向子という本当のクールジャパン 来年公開のアニメ映画『百日紅』にも期待したい 松岡正剛

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杉浦日向子という本当のクールジャパン 来年公開のアニメ映画『百日紅』にも期待したい 松岡正剛

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【BOOKWARE】編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さん=9月14日、東京都千代田区の「丸善丸の内店内の松丸本舗」(大山実撮影)  【BOOKWARE】

 日向子(ひなこ)が咽頭癌で亡くなってから約10年がたった。まだまだこれからという46歳だった。

 日本橋の呉服屋に生まれた。兄貴からはロックやサブカルを教えられ、高校時代は大相撲にぞっこんになって、魁傑(かいけつ)の大ファンになり、日大芸術学部に行ったものの授業がとてもつまらなく、稼業を手伝いながら手描き友禅に憧れるうちに、稲垣史生の時代考証学に惹かれて「ああ、これだ、これで行こう」と決断すると川越の稲垣の自宅に3年通った。稲垣が時代劇の時代考証を一手に引き受けていたころだ。日向子の唯一のセンセイは稲垣なのである。

 22歳で「ガロ」で吉原を題材にしたマンガでデビューすると、たちまちやまだ紫・近藤ようことともに“ガロ三人娘”と呼ばれたが、徹底した時代考証は日向子の右に出る者はいなかった。『合葬』『風流江戸雀』『ニッポニア・ニッポン』『百物語』『ゑひもせす』『百日紅(さるすべり)』『とんでもねえ野郎』などで、江戸情緒と江戸怪奇と江戸日本人の風合の真髄を描き続けた。

 ぼくは比較的早く日向子と知り合って、その素っ頓狂な時代オヤジぶりがおもしろくて(銭湯やバイクや落語が好きだとか)、しょっちゅう会ったりパーティに連れ出していたのだが、紹介した荒俣宏君が彼女を気にいって結婚してからは(長続きせずに離婚したが)、少し遠慮するようになった。その間、『お江戸でござる』などのテレビ番組のレギュラーになったりしていて、巷間ちやほやされていたけれど、それがなんだか気の毒だった。きっといろいろな事情がうごめいていたのだろう。1993年にマンガ家引退宣言をしてしまったのも悔しい。

 日向子のマンガの魅力は、絞りに搾れば3つある。第1に、現代の浮世絵のような絵の描きっぷりがいい。線もいい、間(ま)もいい、コマ割りもいい。第2に、江戸の情緒・風合・洒脱がみごとに再生されている。さすがに黄表紙を読みこんできただけのことがある。第3に、時代社会の人間模様をなんともいえないヒューマニティを下敷きに組み立てていて、そこに奇妙や不気味や滑稽が出入りしているのが、たまらない。

 たとえば『百日紅』は葛飾北斎と娘のお栄と居候の善次郎の3人の、自信と気っ風と失敗談が絡まりながら進行する傑作マンガだが、どこを読んでも間と情緒と滑稽が下町の風のように出入りしていて、現代のわれわれが失ったものが何であるかを告げてくれるのだ。

 が、その日向子はもういない。せめて彼女が遺した“香ばしい失望”がたゆたうメッセージを受けとめるべきだろう。それがなくてはクールジャパンなどありえない。原恵一によるアニメ映画『百日紅』が、来年公開されるのが待ちどおしい。

 【KEY BOOK】杉浦日向子『百日紅』上(ちくま文庫)734円

 杉浦日向子を知るにも、北斎を知るにも、江戸の下町の庶民や職人の娘の生きざまを知るにも、本当のクールジャパンの味を知るにも、このマンガが欠かせない。1983年から4年にわたって「漫画サンデー」に連載された。北斎の娘のお栄は「オヤジと娘がいれば、それに筆が二本あれば、どうにでもなる」という気っ風の持ち主だが、さあ、そうは問屋が卸さないというのも江戸の下町である。それでもこの親と娘は逞しく生き抜いた。それが妙に美しい。

 【KEY BOOK】杉浦日向子『百日紅』下(ちくま文庫)734円

 浮世とは何か、鬼火とは何か、色っぽいとは何か、心中とは何か。これがわからなくてはニッポンじゃない。加えて日向子は「あきらめ」が必要なんだとも言いたかった。それが「粋」だとも描きたかった。英泉や国芳や井上政女(北斎の弟子で愛人)などを配して、お栄の日々にはますます「粋」という風が吹く。表題の百日紅は、加賀の千代女の「散れば咲き散れば咲きして百日紅」を想わせる。いや、夭折した日向子を想わせる。

 【KEY BOOK】杉浦日向子『百物語』(新潮文庫)907円

 ぼくは千夜千冊では迷わずこれを採り上げた。「小説新潮」に足掛け8年にわたって連載された傑作だ。1表題は浅井了意の『伽婢子』(おとぎぼうこ)の最後に出てくる「怪異な話が百話になったとき、必ずや怪しきことがおこりまする」に由来する。小鳥屋が入手した掛軸の顔が消えた話、番町の医者の娘が旗本の息女のところで駕篭の中に見た黒髪の姫の話など、怖いようで懐かしい経緯が次々に出てくる。日向子はこれらの話の片隅で生きていた。

 【KEY BOOK】杉浦日向子『ニッポニア・ニッポン』(ちくま文庫)562円

 「日本感覚」に寄せる日向子の才能とセンスが横溢する短編が11本入っている。そこには馬風庵のセンセとおかつ坊と若のやりとりが、異国の少女メアリーと吉蔵の甘酸っぱい記憶が、冥土の花嫁の消息が、明治の初めの青年の誇らしい送別会が、それぞれ着色写真がカタカタと動くように配列されている。そう、いまやわれわれは、自分たちの香ばしい記憶を失いつつある絶滅危惧種のニッポニア・ニッポンなのである。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS

 ■まつおか・せいごう 編集工学研究所所長・イシス編集学校校長。80年代、編集工学を提唱。以降、情報文化と情報技術をつなぐ研究開発プロジェクトをリードする一方、日本文化研究の第一人者として私塾を多数開催。おもな著書に『松岡正剛千夜千冊(全7巻)』ほか多数。「松岡正剛千夜千冊」(http://1000ya.isis.ne.jp/

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