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やっぱり教育は「黒板」でやるべきだ ルドルフ・シュタイナーの黒板的学習法 松岡正剛
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シュタイナーの黒板絵とシュタイナーの本が並ぶ。背景は編集工学研究所の「黒板本棚」。編工研はみんなが黒板使いなのである(小森康仁さん撮影、松岡正剛事務所提供)
ぼくは黒板派だ。子供のころから先生がチョークの粉をツツツーと滑らせ、漆黒から自在に文字や図を浮かび上がらせていくのを見て、うっとりしていた。そこで、自分の講演にもできるだけ黒板を使うようにしてきた。10年続けた「連塾」では畳タテ1畳ぶんの3枚の黒板を次々に動かしながら、裏表をひっくりかえしつつ話をしてきた。この発想は実はルドルフ・シュタイナー(1861~1925)から影響をうけたものでもあった。
シュタイナーにはすばらしい「黒板絵」がたくさん遺されている。その場かぎりのチョークで描いたものが残るなんておかしいと思うだろうが、模写を頼まれた女性画家トゥゲニエフが、あるときから黒い羅紗紙を貼ることを思いついたからだ。おかげでシュタイナーの独特の宇宙観や世界観にもとづく即興ドローイングが後世に伝わることになった。
世の中で「シュタイナー教育」と呼ばれているのは、シュタイナーが篤志家から頼まれて「自由ヴァルドルフ学校」を創立したときのカリキュラムのことをいう。まことに独創的なもので、0歳から21歳までを7年3期に分けて「真・善・美」を学ばせる。その後、基本は8年~12年一貫教育になった。いまではシュタイナー学校として世界各地に広まっている。
シュタイナー学校では国語・算数・理科・社会も教えるが、基本は年齢にともなって何に「気づく」かが目指される。たとえば幼児は「模倣とお手本」、6年生は「法則性」、9年生は「対極」を学ぶ。すべてに通じるのは集中と弛緩の繰り返し、すなわち「リズム」を重視すること、自分で世界を感じるための絵をいつでも描くことである。絵とはいっても、最初はクレヨンや絵の具を持たせない。まずは黒地に白で描く。光と影を感じるためだ。色を使うときも、濡れた画用紙にゆっくりと絵の具を落としてみる。これは水の力によって色が広がっていくことを体感するためだった。
シュタイナーの教育法は徹底している。そこには誰もが真っ黒い宇宙の中に生み落とされた子供なんだという根本認識がある。だからどんなことも無地の黒から出発する。つまりは、われわれはすべからく「黒板」に見えてくる線や色や文字や図形をもって、当初の学習の胎動とするといいということなのだ。
ワタリウム美術館の展覧会から生まれた横長のすばらしい一冊で、ぼくはとても大切にしている。いつかこんな本を作ってみたいと思うほどである。描かれているのは、霊感が示すヴィジョンから知覚が獲得するイメージのあれこれまで、コズミックポエムの図象から舞台装置のスケッチまで。次々に見ているだけでその奥に引き込まれそうになる。ぜひ手元に置きたい一冊だ。
シュタイナーは20世紀が生んだ人間学を、生涯をかけて人智学から神智学のほうへ高次化しつづけた思想者だった。人体を自我・アストラル体・エーテル体・肉体の4領域に捉えた。その根底にはゲーテがいる。一方、シュタイナーはきわめて独創的で自在な教育者だった。この3冊がその方法をあますところなく証す。教育は芸術なのである。
シュタイナー教育については、ほとんどこの一冊で概要がわかる。自然の掴み方、リズムを体感すること、歴史と国語に敬意を払えるようになることが、とくに重要だ。いささか変わっているのが、手芸と大工仕事、およびオイリュトミー体操を全員に体験させていることだろう。ぼくもオイリュトミー・ダンサーのエリゼ・クリンクと対談したことがある。
この本はいい。よくできている。2001年に開校した京田辺市のシュタイナー学校が実践してきたことを、教える側と学ぶ側の両方から、年次を追ってみごとに浮き彫りにした。学年は1~8年生と9~12年生に分かれ、同じ教科を数週間続けて学ぶエポック授業が採り入れられている。学校の1日の変化、祝祭や行事のこと、校舎の作りも、十分にレポートされている。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)