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『失われた時を求めて』を求めて 誰だって子供の頃はマルセル・プルーストなのである 松岡正剛

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『失われた時を求めて』を求めて 誰だって子供の頃はマルセル・プルーストなのである 松岡正剛

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【BOOKWARE】編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さん=9月14日、東京都千代田区の「丸善丸の内店内の松丸本舗」(大山実撮影)  【BOOKWARE】

 誰だって記憶を手繰りよせたいアンビバレントな幼年時代というものがある。あれは何だったのか、できれば時を溯って確かめたい未熟な時間というものがある。

 プルーストである「私」は幼年時代を故郷のコンブレーに過ごした。そこには幼な心にとってはすこぶる象徴的な二つの道があって、ひとつはスワン家の方へ、もうひとつはゲルマント家の方へ向かっていた。

 スワン家には一人娘のジルベルトがいて、「私」は初めて異性を感じた。ゲルマント家には公爵夫人がいて、高貴なるものにひそむ震えを感じた。大作『失われた時を求めて』は、この二つの道のどちらをも選びきれなかった少年プルーストが、その後の複雑きわまりない大人社会の波濤の中で、どのように幼年時代の失われた香ばしい亀裂に回帰できたかという物語になっている。

 恥をさらすようだが、実はぼくが早稲田のフランス文学科に入ったのは、プルーストを原文で読むためだった。同級生に万之助(中村吉右衛門)がいた。だが結局、早稲田時代は学生運動に熱中して、プルーストを原文で読み切れる語学力はつかなかった。

 プルーストはゲイだった。その繊細で鋭い感覚が『失われた時を求めて』の文体に横溢している。それは「傷つきやすさ」と「壊れやすさ」の宝飾細工のようなもので、同じく男色や少年愛を描いたオスカー・ワイルドともジャン・コクトーとも、また稲垣足穂や三島由紀夫とも異なる同性愛感覚によっていた。加えてたえず喘息に襲われていた。息苦しいのだ。これらのことがわからないと、プルーストの微妙きわまりないフラジャイルな語り口は読めない。

 20歳を過ぎて男色にめざめるということが、それまでの甘酸っぱい幼年時代の記憶をどう塗り替えつつ蘇らせるのか、われわれからはなかなか予想がつかない。けれどもプルーストはその試みに挑んだ。

 きっかけは意外なところからやってきた。38歳のある日、プチット・マドレーヌを紅茶にひたした瞬間、何かのトリガーが動き出したのを感じたのだ。このトリガーは記憶を取り戻す「注意のカーソル」になるのではないか。それならなんとか自分の表現衝動のいっさいを言葉に移しきれるのではないか。プルーストは40代のすべてを費やし、この「再生」に賭けた。

 この試みは、文学作品というものが作家の中に混濁する意識を浮上させる可能性をもちうることを世に知らしめた。おかげでわれわれは、カフカやジョイスの『ユリシーズ』やフォークナーとともに、現代文学が「下意識の追想」の上に成り立ちうることを、読者として存分に体験できるようになったのである。

 【KEY BOOK】「失われた時を求めて(1)」(マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳/集英社文庫、1080円)

 ここでは鈴木道彦の訳にした。これなら文庫本の3冊で読めるからだ。全体は記憶と現在が錯綜するオーケストレーションのように仕上がっている。第1篇『スワン家の方へ』、第2篇『花咲く乙女たちのかげに』、第3篇『ゲルマントのほう』、第4篇『ソドムとゴモラ』、第5篇『囚われの女』、第6篇『逃げ去る女』、第7篇『見出された時』だ。プルーストはこれらを第一次世界大戦を挟んで書き続けた。あまりの大作なので億劫になるだろうが、そんなことはない。第1篇第1部「コンブレー」を読んだら、全部が読みたくなる。ただし、「コンブレー」がピンとこないようなら、この20世紀文学の最初の大傑作と取り組むのはあきらめたほうがいい。

 【KEY BOOK】「失われた時を求めて(2)」(マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳/集英社文庫、1080円)

 第1篇で「私」の記憶の原風景とその周辺の人物像が描かれると、第2篇と第3篇で、長じた「私」が出会ったかつてのスワン家とゲルマント家の複雑な人物像が描き出される。それは一言でいえばフランスのサロン社会をプルーストが受け入れたということだ。しかし第4篇で一転、「私」が男色社会に放り込まれ、女たちを見る目も同性愛にもとづく浪漫主義に彩られていく。それが第5篇・第6篇と続く。学生時代にこのあたりを読んだとき、ぼくの女性観が狂うのではないかと感じた。最終篇で「私」はコンブレーに行く。そこで初めて、スワン家への道とゲルマント家への道とが合流していたことを知る。「私」は長らく「幻想の記憶」の中で生きていたのだった。

 【KEY BOOK】「『失われた時を求めて(3)」(マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳/集英社文庫、1080円)

 この大作は、語り手である「私」の幼年時代の切れぎれの記憶と、その記憶が再生されるきっかけを与える幾つかのトリガーと、大人になった「私」がもつことになった社会意識と欲望の模様と、ついに正体をあらわさないプルーストの自我の出入りとで、できている。構成はまことに複雑で登場人物も多いのだが、そのすべての出入りを語り手の「意識」に委ねるつもりで読むと、おそらくひと夏の白昼夢のようにたちまち流れに乗れるにちがいない。プルーストがどのように執筆し、どのように修正したかを知るのも、一興である。いまでは研究者によって処女ノートから書き込み原稿まで、その推敲の過程がほぼわかる。やはりどうしても一度は手にとってほしい名作だ。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS

 ■まつおか・せいごう 編集工学研究所所長・イシス編集学校校長。80年代、編集工学を提唱。以降、情報文化と情報技術をつなぐ研究開発プロジェクトをリードする一方、日本文化研究の第一人者として私塾を多数開催。おもな著書に『松岡正剛千夜千冊(全7巻)』ほか多数。「松岡正剛千夜千冊」(http://1000ya.isis.ne.jp/

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