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辞典・事典・辞書こそが本好きを支える 「モーラの法則」に蹂躙されたい快楽について 松岡正剛

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辞典・事典・辞書こそが本好きを支える 「モーラの法則」に蹂躙されたい快楽について 松岡正剛

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【BOOKWARE】編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さん=9月14日、東京都千代田区の「丸善丸の内店内の松丸本舗」(大山実撮影)  【BOOKWARE】

 「読書に夢中になるには国語辞典をしょっちゅう引きなさい」と中学校のセンセイに言われた。たしかに国語辞典や漢和字典は役に立った。けれどもやがて辞書や事典にはもっと愉快で痛快なものがいっぱいあることに気が付いた。

 たとえば『架空地名大事典』(講談社)だ。希代の読書家アルベルト・マングェルが鋭意編集したもので、世界文学の中に出てくる地名だけが網羅されている。ぼくはこの中で「テレームの僧院」を見いだし、やがてラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』に熱中した。

 たとえば尾佐竹猛の『下等百科辞典』(批評社)である。明治大正期に「下等」だと思われた言葉や職業を当時の俗語で収集し、その解説をばっちり付けている。ぼくはここで「おかま」「かっぱらい」の由来を知った。81年ぶりに復刻されたものだ。

 辞書・辞典・字典・事典には実にたくさんの種類と趣向が用意されている。そこにはいっさいの概念・人名・商品・思想・現象が詰まっている。ぼくが書棚に置いているのは700種くらいのものだと思うが、世の中には各国ごとにこの一千倍はあるだろう。キノコから兵器まで、万年筆から作曲家まで、熟語から映画まで、化学式から天体知識まで…。収録されてないものなんてないと言っていい。ぼくはこれを「モーラの法則」と呼んでいる。モーラは「網羅」のことだ。

 辞典・事典にはしばしば図版・写真・挿画・図解が付いている。これを凝視するのも、たまらない快楽だ。なかには図がないと三文の価値もないものもある。たとえば西洋美術の解読には欠かせないイコノロジーという分野を知るにあたって、ぼくはまず水之江有一さんの『図像学事典』(岩崎美術社)を傍らにおくことにした。いまでは同種のものが手元に20冊くらいにふえているが、それも最初の水先案内人がなければ到達できない。

 水先案内人といえば、この手のものを誰が編纂し、誰が執筆しているかということも、その後の「知の探検」の行く先を左右する。世界の神話や宗教を知るには、専門書に当たるのがまっとうなアプローチだが、2~3度しか出てこない神々の名や儀礼習慣を知るには、辞典・事典が必要になる。ただし、その場合の鋭さ・深さが問われる。宗教ならミルチア・エリアーデの一連のシリーズや、ジョン・R・ヒネルズの『世界宗教事典』(平凡社)に案内してもらいたいし、神話なら一般的なものとは別に、どうしてもバーバラ・ウォーカーの『神話・伝承事典』(大修館書店)を座右に揃えたい。ウォーカーのものはフェミニンなのである。女性はこの事典で神話を知ると、かなり愉快になるはずだ。つまり、辞書・事典は誰が書いたかが、重要なのである。

 ぼくはいまでも、中学の図書館の片隅で百科事典を次々に開いたときの興奮を忘れない。未知の国のどこにでも行けるピーター・パンになったような気分だった。次が鉱物図鑑、次が世界文学事典、次が明治ものしり事典だった。いまでもこの気分は続いている。いつか、ぼくも白川静さんに見習って、老境に入ってからのレキコグラファー(辞書編纂者)をもくろみたい。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS

 ■まつおか・せいごう 編集工学研究所所長・イシス編集学校校長。80年代、編集工学を提唱。以降、情報文化と情報技術をつなぐ研究開発プロジェクトをリードする一方、日本文化研究の第一人者として私塾を多数開催。おもな著書に『松岡正剛千夜千冊(全7巻)』ほか多数。「松岡正剛千夜千冊」(http://1000ya.isis.ne. jp/

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