ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
トレンド
父の志継ぎ 一家の苦難つづる 「日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族」著者 深谷敏雄さん
更新
離婚後、男手一つで育てた愛娘の富美子さん(左)と著者の深谷敏雄さん。本書の最後には、富美子さんによる未来へ向けた文章も収録されている=2014年12月17日(塩塚夢撮影)
第二次世界大戦時、中国戦線でスパイとして活躍した憲兵・深谷義治さん(99)。敗戦後も極秘指令を受けて上海に13年間潜伏、その後中国当局によって逮捕され、想像を絶する拷問を受けながら20年4カ月もの間、獄中生活を送った。ノンフィクション『日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族』は、自身も差別や極貧に苦しんだ義治さんの次男・敏雄さん(66)が、父の獄中手記を織り交ぜながらつづった家族の物語だ。
戦時中、中国人になりすまして紙幣を偽造し国民党軍と共産党軍の経済に打撃を与えるなどの任務についていた義治さん。戦後も日本軍の円滑な撤退のため、国際法に反して任務遂行を命ぜられた。
戦時中に結婚した中国人女性との間に4人の子供に恵まれたが、1958年に逮捕。戦時中のスパイ行為は認めたものの、終戦後については完全黙秘を貫いた。「戦後のスパイ行為について認めれば、すぐに釈放されたはず。しかし黙秘を続けたのは、『国に国際法違反という汚名を着せまい』という軍人としての信念ゆえでした」と敏雄さんは父の心中をおもんぱかる。
本書には、その信念ゆえに義治さんが受けた苦難が克明に記される。零下6~7度の酷寒のなか、たった1枚の衣服しか与えられない。強制労働により、身長は10センチ縮んだ。左目も失明同然に。
敏雄さんら家族も文化大革命のさなか、長兄が無実の罪で逮捕されるなど、「日本の鬼の子」として激しい差別と迫害を受ける。経済的にも困窮し、家財道具を売り払って糊口をしのぐ生活だった。
日中関係の改善により78年に特赦を受け、一家は日本に帰国。しかし、一家の悲劇は終わらなかった。何者かが義治さんになりすまして書類を偽造し軍人恩給を申請、横領されていたことが判明したのだ。国に見直しを申請したが受理されず、義治さんは軍人として正当な功績が認められないまま寝たきり生活に入ってしまう。
「釈放されたら本を出版したい」との思いを抱いていた義治さんだが、かなわない体に。志を継いだのは敏雄さんだった。「私たちが体験した苦難を歴史の闇に葬ってはならないという使命感から筆を執りました」
とはいえ、6年にわたる執筆そのものも苦難の連続だった。敏雄さんは中国で生まれ育ち、日本に帰国したのは30歳のとき。日本語は完全とはいえない。「中国語で本を書いて人に翻訳してもらう」という方法もあったが、日本語教室に通ったり、日本生まれの一人娘・富美子さん(24)に添削してもらうなどして完成にこぎつけた。「あこがれてきた祖国に帰ってきた以上、日本人としての誇りを持ち、日本語で書くことしか考えていなかった」
完成した本を、義治さんの手に握らせた。「生きているうちに出版できてよかった」と敏雄さんは涙をぬぐう。
父を恨んだことはなかったのか-。敏雄さんはその質問に、きっぱりと答えた。「ありません。父は信念を貫いたサムライ。誇りに思います」(塩塚夢、写真も/SANKEI EXPRESS)
「日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族」(深谷敏雄著/集英社、1800円+税)