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五輪で惨敗も「人生」では勝利した 映画「ミルカ」 ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ監督インタビュー

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五輪で惨敗も「人生」では勝利した 映画「ミルカ」 ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ監督インタビュー

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「ミルカは笑みを絶やさない少年のような人。でも、時折見せる悲しみをたたえた表情がまた印象的でした」と語るラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ監督=2015年1月16日(高橋天地撮影)  社会の闇に翻弄される若者の葛藤を独特の映像美で表現してきたインドのヒットメーカー、ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ監督(51)が、母国の伝説的な元陸上選手、ミルカ・シン(84)を新作の主人公に据えた。タイトルは「ミルカ」。このシク教徒の国民的英雄の名前そのままだ。1947年の英国からのインド・パキスタン分離独立に伴う混乱で、親きょうだいを次々と虐殺されたミルカの苛烈(かれつ)を極める幼少時の体験をベースに、メーラ監督は深い悲しみとの向き合い方をじっくりと考えさせる内容に仕上げた。「映画を見たミルカはとても喜んでくれました。私はとても救われた気持ちです」。メーラ監督はホッとした表情をみせた。

 1960年、ローマ五輪・陸上400メートル決勝。金メダル獲得が確実視されていたインド代表、ミルカ(ファルハーン・アクタル)だが、ゴール手前で後ろを振り返るという不可解な行動に出て、記録は4位に終わった。メダル獲得に大きな期待を寄せていたインド国民はミルカの“裏切り行為”を激しく非難し、帰国後のミルカは表舞台に出ることを避けるようになった。ほどなく、パキスタンで開催されるスポーツ大会のインド選手団長に指名されたが、ミルカはかたくなに拒み続け…。

 つらい現実にあえて立ち向かい

 メーラ監督は本作を事実の羅列に終始する無機質な伝記映画にする気持ちは毛頭なく、2割ほどはフィクションを織り交ぜたという。「私は人間の精神の気高さを描きたかったのです。ミルカは幼少時の体験への嫌悪と恐怖を抱いて生きてきた人物です。人間とは弱いもので、つらい現実から目を背けてしまい、逃げ出してしまう場合が多い。でもミルカはあえて立ち向かい、最終的に心の闇に打ち勝った。私が表現したかったのはそこです」。嫌悪や恐怖を抱いて生きても、それらをただ増幅してしまうだけに終わってしまうから、いっそ私を苦しめた過去を許してしまおう-。ミルカのそんな気持ちが見て取れたとき、メーラ監督は「五輪で惨敗しても人生という長丁場のレースには勝利できたのではないか」と痛切に思ったそうだ。

 映画化権の獲得交渉をめぐっては、並み居る映画会社からかなりの高額な金額をすでに提示されていたようだ。インドを代表する映画監督であるメーラ自身がミルカ本人との直接交渉に臨んだとしても、果たして勝算があるのか見通すことができなかった。ところが、はるか後方集団を走っていたメーラ監督は土壇場でうっちゃりを演じてみせた。ミルカの息子で、インドを代表するプロゴルファー、ジーブ・ミルカ・シン(43)はメーラ監督の大ヒット作「Rang De Basanti(愛国の黄色に染めて)」の大ファンだったのだ。「ジーブはミルカに『メーラ監督を選ぶべきだ。たった1ルピーで映画化権をあげなさい』と強く説得してくれました。感謝の気持ちでいっぱいです」

 作品はインド国内で年間第6位となる興行収入20億円を記録し、インド版アカデミー賞のフィルムフェア賞で作品賞など主要6部門を制した。メーラ監督は収益のうち2000万円をミルカ・シンに贈り、恵まれない子供への支援などに役立ててもらいたいと考えている。1月30日、全国公開。(高橋天地(たかくに)、写真も/SANKEI EXPRESS

 ■Rakeysh Omprakash Mehra 1963年7月7日、インド・デリー生まれ。2001年「Aks(影)」で映画監督デビュー。06年「Rang De Basanti(愛国の黄色に染めて)」は英国アカデミー賞で最優秀外国語映画賞にノミネート。「インドの新しい波」として新世代を代表する監督としての地位を築いた。このほか、09年「デリー6」など。

 ※映画紹介写真にアプリ【かざすンAR】をインストールしたスマホをかざすと、関連する動画を視聴できます(本日の内容は6日間有効です<2015年1月28日まで>)。アプリは「App Store」「Google Playストア」からダウンロードできます(無料)。サポートサイトはhttp://sankei.jp/cl/KazasunAR

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