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政治
【取材最前線】「ブレない」というよりも…
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会見を終え、壇上からおりる岡田克也新代表=2015年1月18日午後、東京都千代田区(宮崎裕士撮影) 「私は原理主義者というニックネームがついている。褒め言葉だと思っているが、私も変わらないといけない」
民主党の岡田克也氏は18日、都内で開かれた代表選の「最後の訴え」でこう話した。その後、新代表に選ばれた。原理原則を曲げない性格から「原理主義者」と呼ばれるが、「ブレない岡田」は本当だろうか。
8日の日本記者クラブ主催の討論会。代表選で最大の争点となった野党再編をめぐり、対抗馬の細野豪志(ごうし)氏との暴露合戦が繰り広げられた。
岡田氏は昨年12月の衆院選前に細野氏らが維新の党などとの新党構想を提案してきたことを突然暴露し、「政治家は自分の言葉に責任を持つべきだ」と細野氏に迫った。だが、その新党構想の“黒幕”は岡田氏の選対事務総長を務めた安住淳国対委員長代理だった。
細野氏らが岡田氏に新党構想を提案したのは昨年11月19日。解散風が吹き始めた11月上旬から党内でも新党構想が持ち上がり、14日には若手議員が中心となって維新など5党の若手議員を集め、計約40人が新党結成を視野に国会内で気勢を上げた。
だが、党幹部によると、「こういう話はみんなが一つにならないといけないから、連絡先は全部オレのところだ」と話すなど、若手や細野氏らの行動を影で指揮していたのが安住氏だというのだ。
その黒幕を選対幹部に迎えた事実を棚上げにして、新党構想を提案した細野氏を批判する“支離滅裂”ぶりは、「ブレ」以前の問題だ。関係者によると、安住氏は当時解党前だったみんなの党代表の浅尾慶一郎衆院議員にも同様の話を持ちかけていたという。
18日の代表選の演説では、細野氏が制定を主張していた安全保障基本法案についても、岡田氏は「現在の案では賛成することできない」と否定。リベラル系議員取り込みのため、極めて断定的な口調だったが、政調会長にはその細野氏を起用した。20日に記者団から起用理由をつかれると、「100パーセント否定していない」と居直った。齟齬はない。が、周囲が受け止めている感覚とは異なる。「ブレない」というよりも、明確な方針を「決められない」だけのようにみえてしようがない。(政治部 楠城泰介/SANKEI EXPRESS)