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【イスラム国殺害脅迫】「命弄んでいる」 知人ら怒りと焦り

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【イスラム国殺害脅迫】「命弄んでいる」 知人ら怒りと焦り

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イスラム国に拘束されている後藤健二さんの母・石堂(いしどう)順子さんの記者会見には大勢の報道陣が集まった=2015年1月28日、東京都千代田区の参院議員会館(AP)  イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」が27日深夜、人質としている後藤健二さん(47)の殺害を猶予する期限として、新たに「24時間」を突きつけた。ヨルダン政府が後藤さん解放の条件である死刑囚の釈放に同意したとするアラビア語メディアの報道もあったが、真偽は不明。期限とみられる日本時間の28日深夜が刻々と迫る中、後藤さんの知人らは焦りを募らせ、生命を弄ぶイスラム国に怒りを募らせた。

 「何も手につかない」

 「後藤さんは2回も画像に登場させられ、自らの意思ではない文章を読まされている。なぜ、こんな理不尽なことの道具に使われなければならないのか」

 後藤さんと番組を制作した経験のある元NHKプロデューサーで武蔵大教授の永田浩三さん(60)は怒りをあらわにした。

 フリージャーナリストとして、たびたび紛争地域で取材していた後藤さん。視線は戦闘そのものよりも、紛争に巻き込まれて苦しむ子供ら弱者に向けられていた。

 そんな後藤さんが人質となり、取引材料として使われている。「24時間」の期限が迫る中、永田さんは「気が気でなく、仕事や他のことが何も手につかない」という。

 2010年10月、後藤さんが訪れ、紛争地帯で暮らす子供たちの話をした長崎市の児童養護施設「明星園」の園長、奥貫賢治さん(66)も「24時間というリミットがもどかしい」と焦りをにじませた。

 明星園のほかにも、全国各地の学校などで、後藤さんは海外取材で得た経験を日本の子供たちに伝えてきた。奥貫さんの胸には、園児に優しく接する後藤さんの姿が刻まれている。だが、拘束後に公開された画像には憔悴(しょうすい)しきった姿が映っていた。「許されない卑劣な行為。人がなせる業じゃない」と憤る。

 政治的利用許せぬ

 後藤さんとともに人質となり、殺害されたとする画像が公開された湯川遥菜(はるな)さん(42)。後藤さんが昨年10月22日に日本を出発し、シリアに向かったのは、拘束された湯川さんを救出するためだった。

 「もう1回シリアに行く」。出国2日前の10月20日、後藤さんから連絡をもらったというジャーナリストの前田利継(としつぐ)さん(42)は「前回も1週間で戻ってくると言って、1週間後に帰ってきたから…」と悔しげに振り返る。

 ジャーナリストとして、後藤さんは中立性を大事にしていたという。それだけに後藤さんの政治的利用を「人の命を弄んでいる。許せない」と語る。

 前田さんが講師を務める駒沢大で後藤さんが講演した際、学生たちが後藤さんを囲み、談笑していた光景が強く記憶に残っている。

 期限が迫り、知人の誰もが後藤さんの救出を祈る中、前田さんは後藤さんに呼びかけるように話した。「無事に戻ってきてほしい。学生たちにもっともっと話をしてやってほしい」

 ≪後藤さん母「残された時間わずか」≫

 後藤健二さんの母、石堂(いしどう)順子さん(78)は28日、東京都千代田区の参院議員会館で記者会見し、「健二に残された時間はわずかしかない」と悲痛な思いを語った。

 石堂さんは「健二はいつも『中東のお子さんたちの命を救いたい』と言っていた。(湯川遥菜(はるな)さんの)救出に行ったことが逆に出てしまった不幸を残念に思う」と話した。また「二度とこういうことが起こらないよう切に願っている」と語り、「健二はイスラム国の敵ではない」と改めて強調した。

 石堂さんは会見冒頭、安倍晋三首相にあてた文書を読み上げ、「健二の命を救ってください。残された時間はわずかです」と救出を訴えた。

 最初の動画公開から1週間以上が経過し、石堂さんの疲労もピークに達しているといい、会見は20分足らずで終了した。石堂さんは最後に「息子が元気に帰りましたら、日本国にお役に立つような人間に成長するように伝えたい」と話し、後藤さん救出への希望を口にした。

 これまでの会見や取材では、後藤さんが幼いころに描いた絵や母の日にもらったメッセージカード、紛争地の子供たちを取材してきた後藤さんの功績などを公開し、真摯(しんし)な人柄を紹介してきた石堂さん。28日未明にはイスラム国に対し「健二は悪意をもっていない。何か悪いことをしたとしたら母親として謝りたい。どうか息子を助けてください」と訴えていた。

 石堂さんは会見後も、事態の推移を見守るため、首相官邸に近い社民党の福島瑞穂副党首の事務所で待機した。

 焦がれるような思いで吉報を期待したが、外務省の担当者が状況の説明に訪れた以外は動きがなく、午後7時半すぎ、重い足取りで自宅へ。支援者らに「ありがとうございました」とだけ話し、タクシーに乗り込む顔には疲労の色が濃くにじんでいた。(SANKEI EXPRESS

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