SankeiBiz for mobile

「夢の源泉」冬山を撮る 富士山に故郷の記憶重ね

ニュースカテゴリ:EX CONTENTSのトレンド

「夢の源泉」冬山を撮る 富士山に故郷の記憶重ね

更新

富士山と中央アルプス=2015年1月13日(唐木英明さん撮影)  子供時代を過ごした疎開先の長野・伊那谷(いなだに)は父親の出身地だ。朝は、地元では「東山」と呼ばれる南アルプスから太陽が現れ、夕方は「西山」と呼ばれる中央アルプスに沈んでゆく。夜は天の川と満天の星が谷を照らす。日々、そんな美しい光景を眺めながら、「あの山の向こうには何があるんだろう」という想像が膨らみ、いつか行ってみたいという願望が生まれていた。私にとって山は夢の源泉だった。

 小学校の途中で東京に戻り、江戸っ子の同級生に信州弁をからかわれて悔しい思いをする中、思い出していたのは、伊那谷から見える山々が真っ白な雪で覆われて、朝日、夕日に輝く光景だった。

 当時の東京は復興の最中で、多くの家は粗末な平屋。空気もきれいで、あちこちの高台から富士山が見えた。そんなときにはなんとなくうれしくなったのを記憶している。伊那谷から見た山の風景を富士山に重ねるようになったのはこの頃のことだったろうか。

 山への愛着は消えることはなく、高校時代は山歩きを楽しんだ。毎年の正月は越後湯沢のスキー場で迎えていたが、東大助教授に昇進したころから仕事が忙しくなり、スキーも山歩きも次第に遠い存在になった。

 もう一つの趣味が写真だ。高校時代は勉強そっちのけで写真撮影に熱中し、自室の押入れを暗室に改造して現像、焼き付けの技術を磨いた。処理に使う酢酸のにおいが家中に広がると母親に嫌がられたのも懐かしい思い出だ。しかし、大学入学と同時に実家を離れたため、写真とはすっかり縁遠くなっていた。

 ≪子供の頃の思い 今も心に≫

 東大を定年退職してから趣味が復活したが、山歩きは年寄りの楽しみに、スキーが廃れてスノーボードが主流にと、状況は大きく変わっていた。

 フィルムカメラは姿を消し、撮影済みのフィルムを現像してその画像を印画紙に焼き付けるという面倒な作業も不要になった。新しく出てきたデジタルカメラは、センサーがキャッチした光情報をカメラに組み込まれたコンピューターと画像処理ソフトが自動的に視覚化してくれるという仕組みだ。だから撮影直後にモニターで画像を見られるようになった。

 フィルム1本にはせいぜい36枚の写真しか記録できず、旅行のときは何本ものフィルムを持っていかなくてはならなかったが、今では小さなメモリーカードに何千枚もの画像を記録できる。そんな便利さが気に入って、私はデジタルカメラのとりこになった。

 撮影の対象は風景、とくに山だ。日本だけでなく世界の山に出合うのが楽しみで旅をしている。それは、子供の頃からの山に対するさまざまな思いが、70歳を過ぎた今も心のどこかに残っているためかもしれない。(写真・文:東京大学名誉教授 唐木英明/構成:文化部 平沢裕子(ゆうこ)/SANKEI EXPRESS

 

■からき・ひであき
 1941年、東京都生まれ。73歳。東大名誉教授。倉敷芸術科学大学学長顧問。公益財団法人「食の安全・安心財団」理事長。著書に『不安の構造』など。

ランキング