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極彩色の偶像を脱ぎ捨てる 「蜷川実花:Self-image」
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蜷川実花「Self-image」2013_(C)mika_ninagawa,Courtesy_of_Tomio_koyama_Gallery
かつて「女の子写真」「ガーリー・フォト」などと半ば、揶揄(やゆ)するような呼ばれ方をした女流カメラマン、蜷川実花(1972年~)が、20年のキャリアを経て、変わろうとしている。いや、少なくとも発信してきたテーマの「伝え方」を変えようとしている。原美術館(東京都品川区)で開かれている「蜷川実花:Self-image」は、「あそこで変わったねといわれる」(蜷川)転機を期待させる大型個展だ。
記者たちへの内覧会が行われた1月22日、原美術館の入り口には赤や黄の鮮やかな花が並んだ。芸能人から贈られた花も交じり、目もくらむ蜷川の原色カラー作品を賛美しているかのように見えた。しかし、展覧会そのものは予想に反して、色彩より陰影に満ちていた。
1階に展示されていたインスタレーション「無題」(2015年)には、金魚、唇、目、渋谷の雑踏などが登場する。渋谷慶一郎の音楽にのせて展開する映像は、複数の画像が重なり鮮明ではない。意識下(サブリミナル)に不安やざわめきを呼び覚ますような表現だ。
1階の大部屋には、2010年に写真集を発行した後も撮り続けているシリーズ「noir」の作品が並ぶ。noirは仏語の「黒」。鮮やかな色彩の中に黒が濃厚に入り交じり、生の輝きと死の闇が絡み合う。
この日に開かれた記者会見で蜷川は「金魚は奇形同士をかけ合わせ、もっと奇形にする。人間の目を楽しませるために。ソーセージは腸に肉を詰めて食す残酷な食べ物。こうした残酷なイメージは変換されて、私たちは何も感じなくなっている。だからかわいそうという訳じゃなく、雑菌やノイズの多い世界で、どうたくましく、しなやかに自分の指針を持って生きていくかがテーマです」と自ら解説した。
2階に上がると、作品はプライベートな色合いを増す。「PLANT A TREE」(2010年)は、サクラの花が川面に散る様子を撮った写真だが、蜷川によると「夫と別かれたその日に撮った」。「中ぶらりんに浮いて、自分の意識のない状態がそのまま写っている」という。
一番奥に展示された「Self-image」(2013年)は、限定700部の写真集として発行されたが、展示公開するのは初めて。たばこを吸う姿、ヌード、涙を流す表情…。モノクロで撮られたセルフポートレートは、どこか私小説めいた雰囲気も醸し出している。
蜷川によると、セルフポートレートの撮影は、「さくらん」(2007年)、「ヘルタースケルター」(2012年)の2つの映画を制作していた時期に重なるという。「(映画で)200人もの人と一緒に仕事をしていると、シンプルなところに立ち返りたくなる」「(映画とは)真逆のことをしてバランスをとっているのかもしれない」と自己分析する。
強烈な色彩感覚という武器で、女性カメラマンへの評価の壁を打ち破ってきた蜷川だが、駆け抜けてきた20年間を振り返りながらこう話す。
「カラフルでポップでかわいらしいのが(私に対する)圧倒的なイメージだと思うが、色味の奥に潜む真理、思いが伝わりづらいのを感じていた。違う側面からも見てもらえたら、うれしい」。蜷川は、色彩や光ばかり注目されてきた“偶像”をいま、脱ぎ捨てようとしている。(原圭介/SANKEI EXPRESS)