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バッハの「大いなる神の数」に酔いなさい 「戦場のピアニスト」から「市場のピアニスト」へ
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【BOOKWARE】編集工学研究所所長、イシス編集学校校長の松岡正剛さん=9月14日、東京都千代田区の「丸善丸の内店内の松丸本舗」(大山実撮影)
バッハを聞く、バッハを演奏する、バッハを振る、バッハを祈る、バッハを旅する、バッハを踊る、バッハを歌う、バッハをジャズにする、バッハを感じる、バッハを移す…。みんなそれぞれのバッハだ。そこに「バッハを読む」がある。いや、バッハについての本を読むというのではなく、バッハの楽譜に伏せられているインタースコアを読もうというのだ。
フリードリッヒ・スメントといえばバッハ研究の大立者で、とくにケーテン時代研究の第一人者なのに、変わった探求心があった。1947年に「マタイ受難曲」の第2部テノール・レチタティーヴォの楽章の10個の小節に特定の間隔で39個の和音があらわれることをつきとめると、これがカバラのゲマトリアの手法の援用であることを指摘した。
それからというもの、バッハの楽譜のどこに数秘術が隠れているのか、その謎探しがずっと続いてきた。ロンドン大学の楽想の研究者でクラリネット奏者でもあるルース・タトローが挑んだ『バッハの暗号』は、その集大成のひとつだった。
バッハが楽譜に何かを装飾させていることなら、大作『音楽の捧げ物』に秘めた10曲のカノンはリチェルカーレの謎カノンだったのだし、最晩年の『フーガの技法』のBACH音型にしてから音のアナグラムだったので、それなりに知られていることだった。しかし、カバラのゲマトリアを駆使していたとなると、これはバッハを神秘主義者の番付の上位に入れるということになる。なぜバッハは数の神秘にこだわったのか。「神の数」を音楽にしたかったからだ。
未曽有の殺戮をまきちらした第一次世界大戦のあと、オスワルト・シュペングラーは『西洋の没落』を書き、世界が戦争にまみれたのは、人類が現実の数字のやりとりに血道をあげるようになって「大いなる数」を忘れたからだ、われわれはいったんヤーウェやゲーテに倣って「神の数」を取り戻そうと主張した。
絵画であれ音楽であれ演劇であれ、バロックまでの古典技法というもの、そもそもアナロギアとミメーシスとパロディアでできている。類推に耽る、模倣に凝る、諧謔を遊ぶという技法だが、その中心には「神の数にもとづいて」という精神が貫いていた。すべてを神に擬して技法のかぎりを尽くそうという精神だ。スメントやタトローはバッハこそがその古典技法に長けていたと読んだのだ。
ロマン・ポランスキーの『戦場のピアニスト』という映画があった。主人公が弾くのはほとんどショパンだったが、友人の妹ドロタはバッハの「無伴奏チェロ組曲第1番」を弾いて、主人公に深いインスピレーションを与えていた。さすがポランスキーである。インスピレーションとはもともとは「吹き込む」という意味で、霊感が霊数を呼び込むという原義をもつ。バッハの「神の数」とはこのインスピレーションだったのである。
いま、時代社会は第一次大戦期どころか、もっと卑俗な数に見舞われている。せめて中東に「戦場のピアニスト」が出現してほしいし、それ以上に「市場のピアニスト」も出てきてほしい。できればバッハを弾いて市場に「大いなる数」を響かせてほしい。
バッハをめぐる定番の本は、ハーメル、シュヴァイツァー、ゲック、ヴォルフをはじめ、かなりある。多すぎるくらいだ。本書は新たなバッハ本として評判だった。定番になるにふさわしい充実が読める。とくに福音主義ルター派のプロテスタンティズムの正統性を問いながらバッハの一族からバッハの音楽への歩みを克明に示しているところが、読ませた。著者は元リスト音楽大学学長。歴史と神学と音楽をハーモニーさせた一書として、推薦しておく。
ミュールハウゼン時代のオルガン、ワイマール時代のカンタータ、ケーテン時代のアンナ・マグダレーナとの出会い、ライプツィッヒ時代の「ヨハネ受難曲」の修辞学と、「マタイ」に寄せた慈愛の構想、晩年の数の神秘を加えた「音楽の捧げ物」や「フーガの技法」。これらを本気のエヴァンゲリストとして貫いたバッハの魂が、礒山の叙述によって蘇ってくる。最近のぼくは礒山の文章と、『バッハの風景』などの樋口隆一の文章を読むことが多い。
丸山が気になるバッハを好きなように書いたのがいい。ゲマトリアと数秘術についても言及しているが、インヴェンチオの試みを捉えていくあたり、バッハの視覚性に迫っていくあたり、とくにおもしろい。表題の「神こそわが王」は初期のBWV71に「神はわが王」という注が書いてあることに発して、バッハが「永遠を模倣する時間」に挑み続けた形跡を追ったもので、まさにゲーテとシュペングラーの「大いなる数」を彷彿とさせた。
ここのところロンドン大学はこの手のマニアックな研究者を次々に輩出している。著者は楽想史の専門で、自分でもクラリネットを吹くのだが、若いせいか資料や楽譜を扱う捌きが颯爽としていて、心地よい。数寄者めいている。それゆえ先駆者フリードリッヒ・スメントのバッハ数秘術に敬意を払いつつも、切った貼ったを辞さず、ぼくとしてはそのへんもおもしろがれた。とはいえこれはまだ序章だ。きっと彼女の才能は次作にこそ躍如するだろう。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)