SankeiBiz for mobile

【東日本大震災4年】涙見せない 笑顔になれたら「復興」 宮城県遺族代表、佐藤貴子さん

ニュースカテゴリ:EX CONTENTSの社会

【東日本大震災4年】涙見せない 笑顔になれたら「復興」 宮城県遺族代表、佐藤貴子さん

更新

津波で生徒らが犠牲になった宮城県名取市の旧閖上(ゆりあげ)中学校では、ハト形の風船約360個を海の方角へ飛ばして犠牲者を悼んだ=2015年3月11日午後(宮崎瑞穂撮影)  「ねえ、お父さん。あなたのいとしいいとしい子供たちは、こんなに大きくなりました」。空の上の夫に語りかける言葉は、少し震えていた。でも、幼い2人の子供の前で涙は見せたくない。悲しみを抱えながらも元気に振る舞う長女、地震のたびに布団や机に隠れる長男…。「2人を育てていかなきゃいけないのに、泣いていられない」。そう誓ったからだ。津波で夫を亡くした佐藤貴子さん(34)は11日、宮城県七ケ浜町の追悼式で遺族代表として壇上で、祈りをささげた。

 4年前の3月11日は、うれしい記念日になるはずだった。前年11月に生まれた長男、丈留(たける)君(4)のお食い初めの日で、夜には仕事から戻った夫の秀行さん=当時(32)=、長女の風花(ふうか)ちゃん(9)と家族4人でごちそうを囲むことになっていた。

 「いってらっしゃい」「いってきます」。いつもと同じ朝、同じ会話。それが最後になった。物流会社に勤める秀行さんは、仙台港のコンテナ置き場で作業をしていた。「大丈夫?」と送ったメールに返事はなかったが、「逃げていると思った」。だが、数日後、宮城県利府町の遺体安置所に収容されていることが判明した。

 震災後、夫が港に出入りするトラックの運転手に「津波が来るから逃げろ」と声をかけていたと知った。運転手が「ヒデちゃんに助けてもらった」と話していたと聞き、津波の間際まで人を助けようとした夫の姿がうれしかった。

 子供たちには「パパはお星さまになったんだよ」と話している。一度、泣きそうになったことがある。震災後、夜空でひときわ輝く星を見つけた風花ちゃんが「あれ、パパだね」と見上げた。ぐっとこらえた。父の記憶がない丈留君もイチゴが嫌いなところは秀行さん譲りだ。

 「みんなが心の底から笑顔になれる日が来たときこそが、本当の意味での復興」と訴えた追悼式での言葉は、夫への誓いで締めくくった。「これからも笑顔を絶やさずあなたの分まで明るく生きていこうと思います」。目元に涙が光った。(滝口亜希/SANKEI EXPRESS

ランキング