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【東日本大震災4年】雪が舞う 「あの日」のように

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【東日本大震災4年】雪が舞う 「あの日」のように

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津波で多くの児童と教職員が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校では、朝から雪が舞う中、祈りをささげる人たちの姿が見られた=2015年3月11日午前(竹川禎一郎撮影)  ≪悲しみ胸に 大切な人を思う≫

 東日本大震災の発生から4年を迎えた11日。「あの日」と同じく雪が舞った被災地では、早朝から大切な人を失った遺族らが祈りをささげ、悲しみを胸に生きていく決意を新たにした。

 仙台市若林区荒浜では、慰霊碑に刻まれた犠牲者の名前を手で触れる人の姿があった。会社員、伊藤麻紀子さん(39)は亡くなった友人の今野美智子さん=当時(34)=に「1つしか年が違わなかったのに、まだ若いままでいいわね」と冗談交じりに語り掛けた。この4年間を「長かった気もするし、昨日のことのような気もする」と振り返った。

 約1600人が犠牲になった岩手県陸前高田市の女性(68)は、津波で亡くなった母=当時(96)=と兄夫婦の墓前に、キクやサクラの枝を供え、落ち葉をほうきで掃いた。「誰かがお参りに来てくれるかもしれないから」。震災当初は涙が出なかった。「時間がたった今の方がつらいね」としのんだ。

 雪がちらつく仙台市太白区の仮設団地で「4年前と同じよう」と無職、内海さよ子さん(83)はつぶやいた。仮設暮らしが続き「友達がいなくて寂しい」。4月には災害公営住宅に引っ越す予定だが「楽しみはなにもない」と諦め顔だった。

 岩手県大槌町では午前8時すぎ、前町長と職員ら40人が犠牲になった旧役場前で約30人が黙祷(もくとう)。碇川豊町長は震災遺構として一部保存の方針が決まっている建物を見つめ、「復興の最前線に立つと、未来を語り合った同僚たちがいてくれたら、とつくづく思う」としのんだ。

 東京電力福島第1原発事故後、本格的な漁を自粛し試験操業をしている福島県。いわき市の久之浜港で魚の選別作業をした阿部トシエさん(58)は「やっぱり魚を触るのは楽しい」とにっこり。「福島の漁業は足踏み状態だけど、自分の手で働いて魚を売って、立ち上がりたい」

 津波で約130人が亡くなったいわき市の平薄磯(たいらうすいそ)地区。高校教諭、瀬谷貢一さん(49)は、震災が子供たちの意識を変えたと強く感じる。「人を助ける仕事に就きたい、復興に関わりたいと真剣に言う生徒を見ていると救われる。みんなで防災意識を高めていきたい」と話した。

 原発事故の影響で、人の気配がない福島県双葉町や浪江町にはうっすらと雪が積もり、作業員が仕事に向かう車の列が続いた。(EX編集部/撮影:竹川禎一郎、宮崎瑞穂、早坂洋祐、鴨川一也、共同/SANKEI EXPRESS

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