SankeiBiz for mobile

愛国心高揚 スポーツ中継の危うさ 渡辺武達

ニュースカテゴリ:EX CONTENTSの社会

愛国心高揚 スポーツ中継の危うさ 渡辺武達

更新

サッカー日本代表のバヒド・ハリルホジッチ新監督(壇上の右から2人目)の来日会見には多数のメディアが詰めかけた=2015年3月13日、東京都港区(中井誠撮影)  【メディアと社会】

 マスメディア、とりわけテレビ局にとって、五輪やサッカーのワールドカップ(W杯)は、どんなドラマも太刀打ちできない「キラーコンテンツ(圧倒的視聴率番組)」である。だからその放映権獲得競争は熾烈(しれつ)で、国際オリンピック委員会(IOC)もそれをあて込んで、最大の放映権料が期待できる米国のプライムタイムに、陸上男子100メートルなどの人気種目を合わせるから、選手は体調維持などで大迷惑である。

 「お客さま(視聴者)は神様」といってしまえばそれまでだが、その神様たちは、楽しみ(実際には「楽しまされている」)を自己確認することなくメディアによって世界観が形成されることになる。今回はスポーツ番組による日本人の世界観と愛国主義の危うさについて考えてみたい。

 外国人が率いるNIPPON

 スポーツと音楽は、人間の共通能力に基づくから文化や言語に左右されず、世界をつなぐという考え方があるが、実際には愛国・敵国感情の強化に使われる面も無視できない。

 サッカーの例を挙げれば、日本サッカー協会は12日の理事会で、日本代表監督に前アルジェリア代表監督のボスニア・ヘルツェゴビナ出身のバヒド・ハリルホジッチ氏(62)を起用することを決定した。メキシコ出身の前監督、ハビエル・アギーレ氏(56)は、八百長試合への関与で告発され解任されたが、1992年のJリーグ発足以降の代表監督延べ11人(代行を除く)のうち、代表監督のうち8人が外国人である。つまり、監督は愛国主義ではなく能力によって決められ、その監督が指導するチームが視聴者の愛国主義を高揚しているという奇妙な仕掛けがあるわけだ。

 監督が外国人であれば、文字通り「国際協調主義」によってプレーされているのだが、なぜだかテレビ放送では、「NIPPON」の大合唱である。

 筆者はハリルホジッチ監督の出身地に3度行っている。名声と金を得るため、スポーツ選手としてトップを目指す人が多いのは、サッカー大国のブラジルと類似である。

 「無関係」という錯覚

 かたや、日本の国技である大相撲は国際化が進み、日本人横綱が絶えて久しいが、外国籍のままでは、親方つまり監督にはなれない。横綱の白鵬や日馬富士、引退した朝青龍らはモンゴル人であることを誇りにして土俵に上がり、そのことを非難する声はほとんどない。その点では、日本人の国際意識向上に貢献しているといえる。

 筆者は米中、日中の国交正常化のきっかけとなった71年のピンポン外交に日本卓球協会役員として関わったが、「スポーツと政治は無関係」という人々の錯覚を利用して、小さなピンポン球が大きな地球を動かした。ただ、それには国際卓球連盟への加盟は88年のソウル五輪までは国単位ではなく、協会単位であったという歴史背景がある。英国はイングランド、スコットランド、ウェールズの3協会が加盟し、世界選手権での表彰式でも英国国旗は使われなかった。

 考える時間を奪う

 日本のサッカー中継は、国民を酔わせて、愛国心を高揚させる一方で、政治や社会問題について考える時間を奪うという面で力を発揮している。しかし、現在の国際情勢を考えれば、「公正な競争」と「スポーツマンシップ」といいうスポーツが本来持つ機能の実践に踏み込む時代が到来している。(同志社大学社会学部教授 渡辺武達(わたなべ・たけさと)/SANKEI EXPRESS

ランキング