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【両陛下パラオご訪問】ペリリュー島慰霊碑ご供花 両陛下、平和へ「不変の覚悟」

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【両陛下パラオご訪問】ペリリュー島慰霊碑ご供花 両陛下、平和へ「不変の覚悟」

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「西太平洋戦没者の碑」に供花した後、アンガウル島(写真奥)をみつめられる天皇、皇后両陛下。これに続いて、深々と頭を下げられた=2015年4月9日午前、パラオ・ペリリュー島(代表撮影)  戦後70年にあたって天皇、皇后両陛下は9日、約1万人の日本軍守備隊が戦死した激戦地、パラオ共和国ペリリュー島をご訪問になり、日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」に供花し、拝礼された。米軍の慰霊碑にも黙祷(もくとう)し、全ての戦没者を追悼された。両陛下が海外での「慰霊の旅」を果たされたのは、戦後60年だった2005(平成17)年の米自治領サイパンに次いで2度目。疎開などでご自身も戦争を体験した80代の両陛下にとって、平和への祈りの集大成ともいえるこの旅で、「不変」の強い覚悟を自らの姿で示された。

 「ご苦労さまでした」

 両陛下は、前夜にコロール島沖で宿泊先とした海上保安庁巡視船からヘリコプターでペリリュー島に入られた。ペリリュー島最南端に建てられた「西太平洋戦没者の碑」で、両陛下は日本から運ばれた白菊の花束を手向け、深く礼をされた。続いて、日本軍約1200人がほぼ全滅したアンガウル島の島影にも静かに頭を下げられた。

 宮内庁によると、アンガウル島拝礼は、ご訪問直前に急遽(きゅうきょ)組み込まれたという。一人でも戦没者を忘れないという、強いお気持ちが垣間見える。

 ペリリュー島とアンガウル島の戦闘から生還した元日本兵2人に、陛下は「ご苦労さまでした」と声をかけ、改めて苦労をしのばれた。両陛下は日本から参列した戦没者遺族らとも言葉を交わされた。

 両陛下は「米陸軍第81歩兵師団慰霊碑」でも白い花輪を供えて黙祷(もくとう)され、1944(昭和19)年9月に上陸した米軍と激しい攻防が行われた「オレンジビーチ」もご覧になった。

 次をお考えに

 両陛下のお気持ちが向けられる先は、日本人だけに限らない。パラオの隣国で同様に日本の委任統治領だった中で戦禍に遭ったミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国の両大統領も出席した8日の晩餐(ばんさん)会でのお言葉で、陛下は「この地域の人々が、厳しい戦禍を体験した」ことに触れつつ、今に続く友好関係を確かめられた。

 陛下は皇太子時代から「日本には忘れてはならない4つの日がある」として広島、長崎の原爆の日(8月6、9日)、沖縄戦(6月23日)、終戦の日(8月15日)を挙げ、戦後50年を迎えた即位後の1995(平成7)年、広島、長崎、沖縄、東京・下町の戦地を巡る初めての「慰霊の旅」を行われた。

 次いで、そのお心は「祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のこと」(8日のパラオ訪問ご出発前のお言葉)に向けられる。そこで戦後60年に果たされたのが、米自治領サイパン島での初めての海外ご慰霊だった。

 だが、側近の一人が「陛下のお気持ちは不変」と語る通り、そのほかの島々での戦没者への思いも持ち続けられた。

 宮内庁幹部は「サイパンの後にパラオを、パラオが終わっても、次のことをお考えになっている。両陛下の戦没者慰霊のお気持ちに“ゴール”はない」という。「1つの集大成」(側近)だったといえるパラオご訪問だが、今回を一区切りとしながらも、両陛下は今後も絶えず、慰霊の形を模索されているのではないか。

 両陛下は9日夜、パラオ国際空港から民間チャーター機で帰国された。(SANKEI EXPRESS

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