ニュースカテゴリ:EX CONTENTS
社会
「やらせ」と「演出」 違い認識した報道を 渡辺武達
更新
NHKの看板番組「クローズアップ現代」でやらせがあったと指摘された問題で、取材に応じるブローカーの事務所とされたビルの男性(中央)=2015年4月3日、大阪市淀川区(村本聡撮影)
4月12日に投開票された統一地方選前半戦での戦後最低の投票率が話題となっている。特に若者層の低さについては、「政治的無関心」とか、「おまかせ民主主義」という批判的言葉で片づけられやすく、現にそうした傾向で対策が語られている。米国では同様の危惧がすでに1950年代から学問的対象となり、人々は自分だけがしゃかりきになって社会勉強をして活動しても世の中どうにもならないというある種の徒労感が「合理的無知」として説明されてきた(A.ダウンズ『デモクラシーの経済理論』)。
だが、そうした説明だけで満足していたのでは社会的進歩は止まってしまう。メディア学の立場からいえば、それだけではメディア企業と研究者の責任がどこかへいってしまう。今回はメディアが社会悪をこれでもか、これでもかと報道しているのに、それがなぜ人々の社会参加に結びつかないのかをメディアを巡る事象とその背景から考えておきたい。
取り上げる素材は2つ。第1は、政権政党はメディアにどこまで意見を述べることができるかという点から、「自民党によるテレビ報道コメント」について、第2は、NHKの看板番組「クローズアップ現代」でやらせがあったと指摘されている問題をめぐる議論の方法である。いずれも現在の検証レベルではメディア全体の信頼度向上にはつながらない。ネット中心で議論が行われ、若者層がそれに乗っかりやすいからである。
まず第1だが、昨年末の衆議院議員選挙の直前、自民党は在京テレビキー局各社に文書を送り、選挙報道の「公正」を要請した。政党がどのような政治的発言をしても基本的に自由だが、政権政党がそれをすれば、「政権批判を自粛せよ」と受け取ることになるのは常識だ。実際、各テレビ局は「政治関連番組を少なくすること」でそれに対応したという。
また、このほど、自民党がテレビ朝日の看板番組「報道ステーション」のディレクター宛に同様の文書を送り申し入れをしていたことが判明した。その結果であるかどうかは判然としないとはいえ、3月27日の報道ステーションの生放送中、コメンテーターの元経済産業省官僚、古賀茂明氏が「降板させられた」「官邸から圧力を受けた」などと発言。そうした事実はないとするキャスターの古館伊知郎氏と口論となった。
もう一つの「クローズアップ現代」をめぐる問題は、昨年5月14日に放送された「追跡“出家詐欺”~狙われる宗教法人~」で、筆者の住む滋賀県の寺が現場となり、寺で得度(とくど)すれば戸籍上も法名に変更できる制度を悪用した多重債務逃れや融資の仕組み取り上げた。ところが、多重債務者と寺を結ぶブローカーとして出演した男性が、「NHK記者から演技を依頼された」として訂正を求めている。事実であるなら、報道番組として許されない。ただ、「再現映像」と断り、「出家詐欺」の仕組みを紹介するというのであれば、どこの局でもやっていることで、テレビドキュメンタリーの一手法であり、恥ずべきものではない。
ブローカーを仕立て上げたのに、実際のブローカーであるとして放映したことにNHKの瑕疵(かし)がある。
メディアには事実に即している限り、批判的報道が憲法上の言論・表現の自由としても、放送法上の多角的論点としても許されており、政権政党が「公正な報道」という言葉を使えば、「圧力」になりかねない。一方で、「やらせ=虚偽を事実と誤認させること」と「演出=事実を効果的に伝達する工夫」とは違うということを認識した報道をしないと良質な市民のマスメディア離れがますます進むことになる。(同志社大学名誉教授、メディア・情報学者 渡辺武達(わたなべ・たけさと)/SANKEI EXPRESS)