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次の50年へ 進化続けるメゾン TAE ASHIDA
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カラフルで洗練された都会的な夏を楽しむアイテムがそろう2015春夏コレクション。写真中央は上質でソフトなシープスキンを使用した型押しワンピース(40万円)=2015年6月10日、東京都渋谷区(長尾みなみ撮影)
働く女性が憧れるエレガントなブランドTAE ASHIDA(タエ アシダ)。デザイナー、芦田多恵さん(50)は、日本を代表するデザイナーで父の芦田淳さん(84)が興したJun Ashida(ジュン アシダ)のメゾンを発展させていこうとしている。創業50周年を記念するエキシビションを昨年12月に開催。東日本大震災で被災した宮城県南三陸町の女性たちとコラボレートした動物の小物「ミナ・タン チャーム」のプロジェクトを通じて復興支援にも取り組み、新たな情報発信に力を入れる。
ある日の午後、東京・代官山にあるブティック アシダ 本店に20代前半の男性2人が訪れた。目当てはミナ・タン チャームで、友人の女性への贈り物を探しに来たようだった。現在ネコやキリン、ペガサスなど8種類。既製服の縫製過程で出た端切れを使っており、高級感とユーモアあるデザインが人気。本店に若い男性が現れることは珍しい。「このプロジェクトに取り組んでいたからこその、うれしいエピソードでした」と多恵さんは振り返る。
プロジェクトが発足したのは2013年の7月。南三陸町には震災後、全国から多くの衣類が贈られ、直して着るためのミシンが寄付された。手がけた40~80代の女性たちは、自分たちで手芸品を作って売りたいと考えるようになった。
多恵さんが「技術とものづくり」を伝えながら何かを生み出すことを発案、端切れを使った小物作りのプロジェクトを提案した。ミナ・タン チャームの「ミナ」は南三陸から採用。「タン」は美しかったものが価値を失っても、真心を吹き込むことで再び輝きを取り戻すという、千利休の孫の宗旦(そうたん)の逸話に由来する。
売上金額から販売経費を除いた全額を工賃として技術者たちに支払う。現在は来年の干支(えと)のモンキーの制作を準備中。直営店のほか、百貨店などで随時、開催するポップアップショップを中心に展開している。
手先が器用だった多恵さんは、米国の大学でアパレルデザインを学び1988年に父の会社ジュン アシダに入社。若い女性向けのブランド「ミス アシダ」を91年に引き継ぎコレクションデビューした。「お嬢さんのお見合い服」などとして人気の高いブランドだったが、多恵さんはキャリアを積む女性向けの服を作りたくなる。
2013年に自身の名を冠してスタートしたコレクションライン「タエ アシダ」は、従来のイメージを一新。エッジの効いたモードなデザインがたちまち人気となる。柔らかいラムレザーを使い、手と足の防寒にもなる小物「レザーパッツ?」など、おしゃれさと機能性を兼ねたアイテムを続々と発表している。
働く女性ならではの多恵さんの服作りは、多くの女性たちの共感を得ている。「すてきなものを着ていると会議の場などでプラスになることもあるとか。お客さまには、私の方が応援していただいています」とほほ笑む。
昨年12月にはジュン アシダ創業50周年を記念したエキシビション「エレガンス不滅論。」を東京・国立新美術館で開催。これまで培った技術力、いまも古さを感じさせないアーカイブ作品など「内なる宝」と進化し続けるメゾンの未来を改めて伝えたい多恵さんが企画。「過去は振り返らない」という両親を説得して、アートディレクションを手がけた。
通常のコレクションは顧客やプレス限定の招待だったが、入場無料で一般公開。服飾学校の生徒など若い世代が多く詰めかけた。展示された服を長い時間、動かずに細部まで見つめ続ける学生たちが目立った。ツイッターでは「モノ作りに感動した」「諦めていたドレス作りに挑戦したい」といった感想が飛び交った。
「長くやっていると、こうすればうまくいく、など知っているつもりになっていた部分がありました。でもそうじゃない。時代も多様化している。長くやっているからこそチャレンジして発信していきたい。ブティックのあり方も考えていきたい」
チャームの立ち上げと創業50周年はくしくも同じ2013年。次の50年に向けた多恵さんの取り組みが始まっている。(文:藤沢志穂子/撮影:長尾みなみ/SANKEI EXPRESS)
※価格は税別です。