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「言論の自由」では済ませられぬ神戸事件手記 渡辺武達

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「言論の自由」では済ませられぬ神戸事件手記 渡辺武達

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書店に並ぶ、神戸連続児童殺傷事件の加害男性の手記「絶歌」=2015年7月3日、兵庫県神戸市中央区(頼光和弘撮影)  【メディアと社会】

 今、日本のメディアは「言論・表現の自由」に関し、2つの問題を大きく取り上げている。1つは、6月25日に開催された、安倍晋三首相に近い自民党若手国会議員が組織した「文化芸術懇話会」の初会合で、大西英男衆院議員が「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなることが一番」と発言した報道機関への圧力問題。もう1つは、1997年に起きた神戸少年連続殺傷事件の加害男性である元少年Aの手記『絶歌』の出版についてである。

 最低の部類で後味悪い本

 文化芸術懇話の設立趣意意書には、芸術家らとの意見交換を通じ「心を打つ『政策芸術』を立案し、実行する知恵と力を習得すること」が目的とある。

 中西議員の発言は異なる意見を認めないということであり、憲法21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない…」と、憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」とを併せ考えでも論外である。

 だから、会合で批判対象とされた沖縄の2紙とその加盟団体である日本新聞協会、メディアとしての危機を感じた日本民間放送連盟などが公式に抗議声明を出したことは当然である。

 それではもう1つの元少年Aの手記はどう考えたらよいのか。第1に、「言論・表現の自由」に加え、名誉毀損(きそん)のほか、わいせつ図画などの刑法との関係からも出版は何ら問題ないと考える。また、度を超えた反社会性を持った内容とも言えず、現行法に基づき、国家もしくはその実務的執行者である検察や警察がこの本の出版と販売を取り締まることはできない。

 だが、筆者が最近読んだ本のなかで、これは最低の部類に入るし、これほど後味の悪い本はない。この手記の出版を知り、近くの大手書店に出かけたが、週間販売で1位だったそうで、すでに売り切れていた。取り寄せて入手したが、どうにもやりきれない思いになった。それは被害者とその家族への思いやりがないとか、自己反省がないとか、金もうけをしようとしてるといったような理由からではない。この本の記述よりも残虐な殺人シーンや性的描写はネットだけでなく、一般書店やビデオショップでも簡単に入手できる現実がある。

 社会に寄与せぬ身勝手さ

 筆者がどうにも許せないのはこの本のどこを読んでも、同種の犯罪が減少することに役立つ部分がまるでないことだ。少年法に基づき、元少年Aは更生の手続きを終えた。ただ、少年法ができた当時の日本は戦後のどさくさで、食べるものもなく、子供たちは自分の命を守るために、「盗み」などを働かざるを得なかったために「少年犯罪者」の特別保護規定ができた。

 筆者は、罪を犯した人が再犯にいたらぬよう教導する制度を社会は用意すべきだと思う。しかし、筆者が許しがたいと思うのは、手記を「公表」することが「残された唯一の自己救済であり、たったひとつの〈生きる道〉でした」というあまりにも身勝手な考え方だ。手記をしるし、関係者にだけ見せるのはいいが、市販すべきではなかろう。

 各地の公共図書館が加盟する公益社団法人日本図書館協会の図書館の自由委員会は、この手記について、「(1)頒布差し止めの司法判断があり、(2)そのことが図書館に通知され、(3)被害者(債権者)が図書館に対して提供制限を求めた時」という3要件を満たしているわけではなく、収蔵、貸し出しなどを制限する対象ではないとの見解を公表した。

 一方で、被害者家族は「息子は2度殺された」との表現で手記の出版を批判している。社会全体としてはこの手記を無視することで、類似本でビジネスをしようとする出版社が出ないようにすることが大切だ。

 その点では、問題発言の国会議員を選び、元少年Aの手記を買い求める私たちにも大いなる責任があるということになる。(同志社大学名誉教授 メディア・情報学者 渡辺武達(わたなべ・たけさと)/SANKEI EXPRESS

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