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「あっち側」に行っちゃえば? 懐深い作品集 乾ルカ
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函館山から見た景色。おそらくは恋人同士でいっぱいの夜に撮りに行くガッツはありませんでした…=2015年6月19日、北海道函館市(乾ルカさん撮影)
現実ってなんて酷なのだろう。
そう思ったことはないでしょうか。
私は思います。近頃わりと毎日思っています。本当にどうして現実というのはひどいのか。つらい。苦しい。悲しい。腹立たしい。なんでこうなるんだ、どうして奪っていくんだ、責任者出てこい、おまえか責任者はと、神様の胸ぐらをつかんでゆさゆさしてやりたくなる、そんなことばかり。
この嫌な現実からトンズラできたら、どんなにいいだろう。
厭世的な気分で、グーグルに「死にたい」と検索ワードを入力してみたら、いきなりこころの健康相談統一ダイヤルの案内が出てきて、ちょっとびっくりしました。
しかし「現実世界とはなぜにこんなにつらいのか」と思う裏側には、「現実世界は自分自身に喜びをもたらすもののはず」という都合のよい願望が潜んでいるとも言えます。少しでも期待があるから失望もするわけです。「現実は自分に厳しいのが当たり前、つらく苦しいのがデフォルト」と割り切ってしまえば、あれもこれも嫌で悲しいことだらけの日常こそが、通常運転なのでしょう。
それはそれで、きついことですが。
『ゲイルズバーグの春を愛す』(ジャック・フィニイ著)を、今年の春前に読みました。有名な作品ですので、「いまさら?」「まだ読んでいなかったのか」と呆れられるかもしれませんが、未読でした。
2月に小説関係とはまた別の仕事でご一緒している方が、勧めてくれました。
今思うと、とてもタイムリーでした。
この『ゲイルズバーグの春を愛す』は、表題作を含む作品10編が収められた、短編集です。10編には共通する要素があります。それは『現実とは異なる世界の存在』です。おのおのの作品によって『異なる世界』は違う顔を見せます。作品によっては異世界とまでは言えないものもあるかもしれません。それでも一種の白昼夢的な非日常が描かれている。どんな形であれ、日常と非日常が接しているのです。ですので、ざっくりとジャンル区分をするならば、ファンタジーになるのでしょうか。とはいえ、極端に現実離れしてはいないので、ファンタジーに苦手意識のある方も、問題なく読めるかと思います。
この、極端に現実離れしていない、という雰囲気が実に良く、読み手の想像力をかきたてます。私たちの日常にも、こんなことがあるのでは、もしかしたら明日それは起こるのではという期待を呼ぶのです。
表題作にもなっている『ゲイルズバーグの春を愛す』もそうですが、収録作品の多くで、過ぎさって二度と戻らない過去の世界が垣間見えます。そのノスタルジックなテイストも良いです。とにかく異世界としての過去のみならず、現実にはありえないだろうという要素に満ち満ちた『あちら側』に、登場人物たちは特別ななんらかの手続き-彼らが現実の外側へ行こうという意思的な画策-なしに触れます。ごく当たり前に、現実のすぐ隣、地続き的にもう一つの世界が待っているのです。押しつけがましくない自然さで。
作品によって、そのつながりがもたらす現象は、少し怖かったり、ほのぼのとしたり、ニヤリとさせられたり、あるいは切なさに胸が震えたりと、10編の作品それぞれ魅力的な読み味があります。そして、なによりこの短編集の素晴らしいところは、現実世界へ背を向けることをいさめていない点だと思います。「現実がつらいのなら、別の世界があったっていいじゃない」「なんなら、そっちのほうへ行っちゃってもいいじゃない」、そんな印象を受けます。
現実がつらいのは当たり前、みんな頑張っているのだから逃避するなと、上から目線で説教するのではなく、上質な小説として楽しませながら、現実以外の世界に逃げ込みたくなる心もおうように受け止める、懐の深い作品集なのです。
もしも現実を離れて別の世界へ行くことができたら、どことつながりたいか。『ゲイルズバーグの春を愛す』を読みながら、そんな妄想をしました。
やっぱり家族が全員そろって健康な世界に行きたいですね。なんなら1年前でもいいです。そのときは元気でいて、でも今はいない私の大事な人に、言えなかったことを言い、やれなかったことをしたい。我慢強すぎて、楽観的すぎたその人に、もっと早いタイミングで病院へ行けと伝えたい。
「一緒にラーメン食いに行くか?」と不器用に誘ってくれたあの日、どうして断ってしまったのかなあ。
まったく、「孝行のしたい時分に親はなし」とはよく言ったものです。(作家 乾ルカ/SANKEI EXPRESS)
「ゲイルズバーグの春を愛す」(ジャック・フィニイ著/ハヤカワ文庫、842円)