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「脱ぐ」ことは簡単ではない 町田康
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(町田康さん撮影)
私は読み狂人。朝から晩まで読房に読居、読んで読んで読みまくりたる挙げ句、読みに狂ひて黄泉の兇刃に倒れたる者。
その読み狂人たる私は、20年ほど前だったかなあ、その頃、読み狂人は既に読み狂人であったが、歌い狂人でもあり、歌いへの狂った思いが募って、相模の国の湖の近くに参り、歌を盤に録音したことがある。それによってより多くの人に自分の歌を聴いてもらいたいと思ってそんなことをしてしまったのである。
さすがに狂人でやることが無茶だなあ、と我がことながら思うが、その際、おもしろきことがあった。「六尺八寸様」という題のエモーショナルな楽曲を録音していたときのことである。エモーショナルな楽曲なので奏者に要求されるのは技術よりも感情の高ぶりと心得、無我夢中で歌ったが、全員がそう思い過ぎたためだろうか、間合いがあわずに一度でオッケーとならず、二度、三度とテイクを重ね、四度目のテイクとなって前奏が始まったとき、ふと防音ガラスで隔てられた隣のブースを見ると、前奏を奏でるギター奏者が赤の裸であった。
なーんてくだらない昔のことを思い出したのは、足立陽の『島と人類』を読んだからで、この小説は、なんの疑いもなく衣服を着用して暮らしている人間の、衣服を着ていることによって生じるこだわり・こわばりを衣服を脱ぐことによって解きほぐそうとすると、結び目はますます複雑になり、固くなる様を笑いの内に描いた小説であり、くのの、恥というものは雪(そそ)ぐことはできても除去することはできぬのだなあ、と読み狂人、思い知らされた。
けれども、この小説のおもしろきところ・よみどころは、それは勿論、人によって異なるのだろうけれども読み狂人やなんかは、右に申し上げた、脱ぐか脱がないか、という一刀両断というか、実にわかりやすく、簡単に思えることが、さて実際にやろうとすると、国家の存続とか人類が存在する意味とかに一瞬で直結し、忽(たちま)ちにしてそこいらに固く、複雑な結び目、こわばりが生じていくその様にあるように思った。
それは言うように、国家と裸、複合観念と裸、その他、恥を除去しようとすればするほど恥が広がっていき、際限がない。したがってそれを厳密に考えると小説は極度に息苦しくなって読む楽しみがなくなるのだけれども、この小説では、そうした事態に対する哀感の伴う一種の、ヤタケタ技法、を用いることによってそれを乗り越えている。
その、ヤタケタ技法、とはなにか、というと、どんな作者でも持っている、名作と呼ばれ後世に残るような小説をものにしたい、と考え、たとえそれが無理だとしても、名作風、の小説にしたい、と考え、文章を飾り、名言や警句を随所に配置し、頭いい作者だと思わせるような印象操作をする、という創作態度を捨てている、すなわち、衣服を脱ぎ捨てる、という技法である。
というと、そんな簡単なこと誰でもできる、と言う人が必ず出てくるが、その困難とその必然的な結末を描いたのがこの小説で、おほほ、そのあたり、よく味わって読むとよろしかろう、と読み狂人は猿股脱ぎながら思うわよ。ルルル。(/SANKEI EXPRESS)