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普通だからこそ誤っているのかも 町田康

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普通だからこそ誤っているのかも 町田康

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(町田康さん撮影)  【本の話をしよう】

 私は読み狂人。朝から晩まで読んで読んで読みまくった揚げ句の果ての果てに、読みに狂いて黄泉の兇刃に倒れたる者。そんな読み狂人の私は常人が怖い。

 なぜなら常人は狂人を絶対に許さず、いつも常人にシバキ倒されるからである。

 と言うと、読み狂人は完全にアウトサイダーであるが、そうでもないかもしれないと思うのは読み狂人は狂人ではあるが、それはあくまでも読みについての狂人であり、その他の部分においては常人であるからである。

 世の根本に狂い

 多くの人間が、これは許しがたい、と思うような非道には憤りを覚えるし、ルールを守らない人を見ると、狂人ながら、ルール守らんかいっ、と思い、そのことになんらの疑問も抱かなかった。ということは、普通の市民ということで、そういう意味で読み狂人は、日常常人ということになる。つまり、日常を日常常人として生き、本を読むときだけ読み狂人となっていたのである。

 なんてことを読み狂人が初めて考えたのは、臼井隆一郎の『「苦海浄土」論 同態復讐法の彼方』を読んだからである。

 どういう本かというと題にあるとおり、石牟礼道子の『苦海浄土』を同態復讐法を通じて論じた本で、では同態復讐法とはなにかというと、マア、簡単に言うと、殴られたら殴り返す、俗に言う、目には目を歯には歯を、という奴で、マア、当今はあまり流行らない法の概念である。それは先史時代の概念であり、また、それは母権論という考え方に通じ、その母権論が父権論に敗北して歴史は始まったのは神話や言語に明確に看て取れるのだけれども、その結果、この世を生んだそもそもの根本が段々に狂って、その狂いの現れによって、この先には母権論への戻りがあるはずなのだけれども、実は、それを突き詰めていくと、実はそんな母権論さらに同態復讐法のさらに前の状態があって、それは、同態復讐法を超越する考えで、その歴史の前と後にあり、また現れる状態、徴候が、『苦海浄土』に著されて、水俣の問題は母権の戦いなのである、みたいな本である。

 日常はシバキ倒され

 ということを私たちの生きる現実に当てはめて考えてみると、どのように考えても、それはアカンやろ。とか、それってどう考えてもムチャクチャですやん。みたいなことになって、日常常人としては狂人の理屈としか思えない。

 しかし、史学、神学、哲学、経済学、言語学、民俗学その他読み狂人の知らん学、を義経八艘飛びかいっ? みたいに自在に飛び回り、情熱によって奔騰するままに発せられる著者の言葉は、私たちが疑わず前提として考えていることをシバキ倒して、私たちを狂気の泥沼に沈める。その泥沼こそが、本文中に頻繁に出てくる、「生殖地沼沢」なのか、と読み狂人なんかは思ってしまう。

 そうしたキーワードも魅惑の本書は、ところどころ専門的で難しく、アーパーな読み狂人がすべて理解できたとは思えぬが、石牟礼道子の小説のひとつの読み方としてではなく、この本だけを読んでも、私たちがそれが普通のことと思っていて、だからこそ決定的に誤っているかも知れないことを解く鍵のひとつになると読み狂人は思う。例えばマルクスから龍神にいたる道筋とかマジで。(元パンクロッカーの作家 町田康、写真も/SANKEI EXPRESS

 ■まちだ・こう 1962年、大阪府生まれ。81年、町田町蔵名義でパンクバンド「INU」のボーカリストとしてデビュー。96年には町田康として処女小説『くっすん大黒』(文芸春秋)で文壇デビュー。2000年に『きれぎれ』(文芸春秋)で第123回芥川賞受賞。近刊に『残響 中原中也の詩によせる言葉』(講談社文芸文庫)。

 ■「『苦海浄土』論 同態復讐法の彼方」(臼井隆一郎著) 著者はヨーロッパ文化論などが専門の東京大学名誉教授。本書では『苦海浄土』の「宗教以前の世界」をスイスの文化人類学者・バッハオーフェンの先史母権社会と結びつけて論じる。藤原書店、3456円。

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