SankeiBiz for mobile

【USA! USA!】(24)アラバマ州ハンツビル 米ソ宇宙開発競争の「最前線」

ニュースカテゴリ:EX CONTENTSの科学

【USA! USA!】(24)アラバマ州ハンツビル 米ソ宇宙開発競争の「最前線」

更新

サターンV型ロケット(左)と絶叫マシーンの競演。約110メートルものロケットの高さを実感できる=2015年3月26日、米アラバマ州ハンツビルのアメリカ宇宙ロケットセンター(川口良介撮影)  1960年代に繰り広げられた米ソ宇宙開発競争の最前線の街、アラバマ州ハンツビル。アメリカ宇宙開発の父と呼ばれるフォン・ブラウン博士(1912~1977年)は、「ロケットシティ」と呼ばれるこの街にある「マーシャル宇宙飛行センター」で初代所長を務めた。

 ドイツの貴族の家に生まれたブラウン博士は、第二次大戦中、ナチス・ドイツのミサイル兵器「V2ロケット」の開発に携わったが、敗戦直前にアメリカへ亡命。戦後は、宇宙探査という平和利用のためのロケット開発に尽力する。

 57年に、旧ソ連がアメリカに先んじて世界初の人工衛星打ち上げに成功。宇宙開発の最先端を自負していたアメリカは大きなショックを受けた。

 そんな中、ジョン・F・ケネディ大統領の指揮下で始まった月面着陸計画(アポロ計画)は、宇宙開発においてアメリカが再び世界をリードするための最重要課題となった。ブラウン博士らは、アメリカの威信をかけ、マーシャル宇宙飛行センターで宇宙飛行士を月に運ぶためサターンV型ロケットの開発に着手。69年7月20日。全世界でおよそ5億8000万人もの視聴者がテレビの前にくぎ付けとなり、誰もが夜空を見上げたその日、サターンV型ロケットは人類を初めて月まで運んだ。

 現在もマーシャル宇宙飛行センターではロケットの開発研究、国際宇宙ステーションと24時間体制での交信が行われ、NASA(アメリカ航空宇宙局)の重要施設として稼働している。

 ≪飛行士目指す少年 心はすでに火星へ≫

 マーシャル宇宙飛行センターに隣接する「アメリカ宇宙ロケットセンター」は、平日でも多くの観光客でにぎわっている。施設内にはフォン・ブラウン博士に関する資料、日本企業が製作に関わったスペースシャトルの実物大模型「パスファインダー」、アポロ16号の司令船などが展示されている。

 中でも圧巻なのは、使用されなかった本物のサターンV型ロケットの展示だ。屋外では36階建てのビルに相当する約110メートルの高さを誇るロケットが直立。屋内には横倒しの状態でも展示されており、5基のエンジンに触れられるほどの近さで見学できる。センターの広報によれば、昨夏に日本人宇宙飛行士の毛利衛さんが訪れたが、「例外なく誰もがそうなるようにただ一言『ワォ!』と感嘆の声を漏らした」という。

 ヒューストンのジョンソン宇宙センター、フロリダのケネディ宇宙センターに隠れ、日本での知名度は低いが、このセンターの一番の特色は、ユニークな体験型学習プログラムにある。宇宙飛行士を夢見る子供たちが泊まりがけで勉強できる施設が整い、年齢や目的に合わせて複数用意された「スペース・キャンプ」と呼ばれるプログラムを設け、子供たちに宇宙について学ぶ絶好の機会を提供している。これまで65万人がプログラムを修了し、昨年は65カ国からの参加者があった。修了生の中から実際に5人の宇宙飛行士が誕生したほか、技術者や研究者、生物学者になり、宇宙産業に携わる修了生も少なくない。

 オレゴン州ポートランドからスペース・キャンプに参加していたサーシャ君(13)とマヤさん(12)。プログラムで宇宙服を着用したEVA(宇宙船外活動)など、国際宇宙ステーションに滞在する技術者としてのさまざまなミッションを疑似体験。楽しむことに忙しくて、ホームシックにかかる暇なんてないという2人の夢はやはり宇宙飛行士。「ものすごくトレーニングを積まなきゃいけないけれど、宇宙飛行士になって火星に行きたい」とマヤさん。サーシャ君は「今の技術では火星に行って帰って来るのに2年半はかかる。僕は宇宙食が嫌いだから、飽きてしまわないか心配だよ」と、心はすでにはるか火星へと飛んでいる。(写真・文:写真報道局 川口良介/SANKEI EXPRESS

 【ガイド】

 ■知られざるアメリカを紹介する公式ガイドサイト。ディスカバー・アメリカ www.discoveramerica.jp

ランキング