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【USA! USA!】(23)南部音楽の楽しみ 次代のサッチモを夢見て
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フレンチメン・ストリートで演奏する黒人ミュージシャン=2015年3月17日、米ルイジアナ州ニューオーリンズ(川口良介撮影) フランスやスペインといった宗主国の変遷を経て、ヨーロッパとの結びつきが強くなったニューオーリンズの街角では、文化の多様性を反映したさまざまな音楽が今も昔も流れている。
日曜日に限って音楽を奏でることを許された黒人たちは、コンゴ広場に集まり、抑圧された実生活を忘れるため自由に楽器を鳴らし歌い踊った。アフリカ系アメリカ人の持つ独特のリズム感覚が、フランスを中心としたヨーロッパの音楽と出合い、軍楽隊が使っていたトランペットやクラリネットなど西洋楽器を使う新たな音楽が生まれた。それこそが「ジャズ」であり、ニューオーリンズがジャズ発祥の街といわれるゆえんだ。
がま口の男「サッチモ」ことルイ・アームストロング(1901~71年)は、ニューオーリンズの貧困地区で生まれ、幼い頃からダンスホールや売春宿で流れる音楽に囲まれて育った。街のブラスバンド、ミシシッピ川を行く蒸気船で腕を磨き、22歳でニューオーリンズを離れる。その後シカゴ、ニューヨークへ移り住み、やがて20世紀を代表するジャズミュージシャンへと上り詰めた。
現在、旧市街フレンチ・クオーターのバーボン・ストリートや、フレンチメン・ストリートでは、次代のサッチモを夢見るミュージシャンが、バーやライブハウスで夜ごと腕を競い合っている。路地裏まで響くその音楽は、夜明け前まで鳴りやむことはない。
≪人生の浮き沈み表現…生き方そのものなんだ≫
「その十字路で彼は悪魔に魂を売り渡し、引き換えに演奏技術を手に入れた」。ギター1本でアメリカ大陸を渡り歩き、その演奏が巧みなことに驚いた観客が作り出したブルースミュージシャン、ロバート・ジョンソン(1911~38年)にまつわる「クロスロード伝説」である。
19世紀初頭、奴隷制度が残る南部の大農園。黒人奴隷たちは過酷な労働を強いられる中、さまざまな形で自分たちの音楽を紡いでいた。身近な出来事や感情を表現し、日常の幸せや憂鬱を歌詞に「労働歌」として歌われていたものが、1862年の奴隷解放宣言以降「ブルース」として広く世界に知られていくこととなる。
ミシシッピ川流域で生まれたブルースが、商業的に花開いたテネシー州メンフィス。そのメンフィスとミシシッピ州を結んでいるのが国道61号。ブルースとの関わりが深い町が点在するブルースハイウエーともいわれ、国道49号と交わる十字路こそが冒頭に登場したそれである。
その十字路がある街、ミシシッピ州クラークスデール。世界中のブルースファンが憧れるこの街に、83歳のブルースミュージシャン、リオ“バド”ウェルチはいた。13歳のとき初めてギターを手にし、15歳で初めて人前で演奏する機会を得る。しかし林業で生計を立て、仲間内でのみ演奏していた彼のデビューは遅く、初めてCDを発売したのは昨年1月、82歳の誕生日を迎える直前だった。
「私にとってブルースは人生の浮き沈みを表現する手段。君たちが言うような単なる音楽ジャンルではなく、生き方そのものなんだ」と話す。記者がクラークスデールを訪れた3月20日、偶然にも彼の誕生日ライブが街の小さなライブハウスで開かれていた。時計は間もなく午後11時。腰を曲げて椅子に座り、出番を待つその姿は哀愁漂うおじいちゃんそのもの。しかしピンク色のド派手なギターを手にすると、その姿は一変した。ベアハンドで弦をかき鳴らし、しゃがれた歌声を張り上げる。観客をあおるように力強く足でリズムを刻むと、一人また一人と観客が踊りだした。
悪魔が棲(す)む街で、乾いた音色を奏でる本物のブルースマン。先日89歳で亡くなったB・B・キングから、オーディションを受けに来ないかと誘われたが、メンフィスまでの旅費が払えずに断念したという逸話もある。記者が日本から来たことを知ると「日本てのは東の果てにあるんだろ、そんな所からよく来たな。明日俺もフランスに行くんだ、どこかでまた会えたらいいな」と豪快に笑った。
ジャズもブルースも言葉による定義でしかない。もし可能ならその音楽が生まれた場所を訪れ、ぜひ本物の音に触れてほしい。きっと多くの出会いがあなたにも訪れるはずだ。(写真・文:写真報道局 川口良介/SANKEI EXPRESS)