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【USA! USA!】(16)フロリダ州キーウェスト 大海原 ハイウエーで駆け抜ける
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「7マイルブリッジ」はフロリダキーズの島々にかかる橋で最長の約11キロにもなる。この橋を通りキーウェストまで続く国道1号は左右を海に囲まれ、「オーバーシーズ・ハイウエー」とも呼ばれる=2014年12月8日、米フロリダ州キーウェスト(本社チャーターヘリから、早坂洋祐撮影) フロリダ半島南端の島々「フロリダキーズ」は、マイアミに面したビスケーン湾に浮かぶ島から250キロほど離れた最果ての島、キーウェスト付近まで続く、大小800ほどの列島を指す。隆起したサンゴ礁が作り上げた島にはマングローブが生い茂り、主要な島を橋が結ぶ。
そこを通る国道1号はカナダ国境から東海岸を一路南下し、キーウェストで終点を迎える。その距離は3800キロ。橋の上では大西洋とメキシコ湾の群青色の海に左右を囲まれ、「オーバーシーズ・ハイウエー」とも呼ばれる絶景が車窓に広がる。
この島々をつないだのは、19世紀後半からフロリダ半島を開発した「鉄道王」、ヘンリー・フラグラー(1830~1913年)だ。半島の付け根にあるジャクソンビルからマイアミまで鉄道を通した後、工事の始まったパナマ運河に目を付けたフラグラーは、キーウェスト港を物流拠点とするため南への延伸を計画。フロリダキーズの島々に橋をかけ1912年、ついにキーウェストに鉄道が到着した。しかし23年後の35年、400人以上の死者を出した超巨大ハリケーンが直撃。線路や施設が甚大な損害を受け、鉄道はあえなく廃線となった。
当時の名残は「7マイルブリッジ」と呼ばれる長さ10.93キロの古い橋で見られる。今は通り抜けできないように途中で切断されているが、フロリダキーズの中間付近にある町「マラソン」から3.5キロ離れた小島「ピジョンキー」までは通行可能だ。橋の上では、観光客や地元住民がサイクリングをしたり、釣り糸を垂らしたりしながら、南国の絶景を楽しんでいた。
≪文豪が愛した島 緩やかな時間が流れる≫
フロリダキーズの最果ての島に、ほんの一瞬だけ出現した「コンク共和国」をご存じだろうか? ホラ貝の一種の「コンク貝」の名前を冠したこの国が、フロリダ半島の南西に浮かぶキーウェストに誕生したのは1982年4月23日のことだ。
当時、島から150キロほど南のキューバからの不法移民や中南米から流入する密輸麻薬の対策として、米国境警備隊は半島にもっとも近い島、キーラーゴにチェックポストを設けた。国道1号を通って本土に上陸する全ての人に身元照会を行ったため車の大渋滞を引き起こし、往来は不便を極めた。
当時のキーウェスト市長は、連邦政府に抗議のメッセージを送るため、島の独立を計画。「コンク共和国」の独立を宣言し、そのわずか1分後には島に駐在する海軍基地司令官に降伏するパフォーマンスを行った。結果としてチェックポストは廃止され、政府から10億ドルの対外援助を引きだすことにも成功した。この南国らしいユーモラスな抗議行動は毎年4月に行われる独立記念祭に引き継がれ、いまも1週間にわたって祝いのパーティーやパレードが盛大に行われている。
キーウェストは16世紀にスペインからの移住者が開拓し、米本土と中南米の貿易中継基地として栄えた。米国でもっともキューバに近く、革命を逃れた難民たちが葉巻工場を運営するなどカリブ海文化の色彩が濃い。
そんなキーウェストを気に入って住み着いた有名人に、「パパ」の愛称で親しまれた文豪、アーネスト・ヘミングウェー(1899~1961年)がいる。彼は2番目の妻、ポーリンと2人の息子とともに、1931年から8年間、この町に住んだ。現在も残る彼の家は博物館として公開されていて、彼の飼っていた「6本指」のネコの子孫で同じく6本指のネコたち約50匹が、見学に訪れた観光客を出迎えてくれる。「誰がために鐘が鳴る」や「キリマンジャロの雪」を執筆した書斎は当時のまま保存され、趣味の道具にあふれとても居心地が良さそうだ。当時のヘミングウェーは、現在も営業を続けている近所のバー「スラッピー・ジョーズ」で酒を飲み、船で海にこぎ出してカジキマグロを釣って楽しんだ。
文豪が住んだこの島は、今も本土とは違う緩やかな時間が流れる。ビーチではリタイアした高齢の夫婦がパラソルの下で本を読み、家族連れはマリンスポーツを楽しむ。夕暮れ時には、メキシコ湾に沈む夕日を見るため大勢の人たちが港の岸壁に集まり、カリブ海名物のラム酒がベースのカクテル「モヒート」を飲みながら過ごしていた。(写真・文:写真報道局 早坂洋祐/SANKEI EXPRESS)