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【USA! USA!】(18)バージニア州ノーフォーク 海軍の町 歴戦「老兵」が見守る
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第二次世界大戦から湾岸戦争まで活躍した米海軍の戦艦「ウィスコンシン」。退役後はノーティカス海事博物館で記念艦として公開されている=2014年11月28日、米バージニア州ノーフォーク(早坂洋祐撮影) 米東海岸に位置するバージニア州ノーフォークは、ジェームズ川とエリザベス川が流れ込むチェサピーク湾に面した人口25万人ほどの港湾都市だ。エリザベス川に沿って市内を歩くと、3連装の大砲を備えた巨大な戦艦「ウィスコンシン」が目に飛び込んでくる。太平洋戦争時に東京湾で降伏文書調印式を行った「ミズーリ」の同型艦で、第二次世界大戦から湾岸戦争まで就役し、退役した現在はノーティカス海事博物館で公開されている。水面から伸びる船体は壁のようにそそり立ち、海軍の町として知られるノーフォークを象徴するように鎮座していた。
英国からの入植者が1607年にジェームズ川流域に入った記録があるように周辺の歴史は古く、ノーフォークはタバコや木材、食料などの欧州向け輸出港として栄えた。第二次世界大戦後はアパラチア山脈で産出された石炭の積み出し港として発展し、現在も貨物取り扱い量は全米6位につける。
この港湾都市の発展を最も支えてきたのは、世界最大とも言われるノーフォーク海軍基地の存在だ。18世紀半ばには対岸のポーツマスに米海軍で最も古い軍需工場のノーフォーク海軍造船所が開設。1907年には大西洋艦隊の基地が造られた。
現在はアメリカ艦隊総軍が司令部を置き、基地内の14の埠頭(ふとう)には大西洋と地中海、インド洋方面を任務地とする空母やイージス艦などが何隻も停泊している。造船業などの軍需関連産業は、周辺のポーツマスやハンプトンなどとともに作る人口170万人の「ハンプトンローズ都市圏」を支える中核産業だ。
≪記念館、広場… 英雄マッカーサーに敬意≫
「USSチャーチル、USSバリー、USSジョージ・H・W・ブッシュ…」。ノーフォーク市を流れるエリザベス川の岸壁を出発した観光船「ビクトリーローバー」は北に進み、市街地を抜けて貨物ターミナルを過ぎると、右手に何隻もの巨大な艦艇が迫ってくる。船内アナウンスで停泊する米海軍の船の名前と戦歴が次々と読み上げられ、ノーフォーク海軍基地の威容に圧倒されるばかりだった。
「横須賀にもこんな数の艦艇はいないだろ? ノーフォークは世界一の軍港だからね」とビクトリーローバーのマーク・ジョンソン船長はにやりと笑いながら、観光船を基地の桟橋に近づけていく。日本では全6隻配備されているイージス艦が、ここでは20隻以上が停泊。湾に突き出した非常に長い桟橋には、全長170メートルに及ぶ巡洋艦や駆逐艦が同時に4隻も停泊。外洋に近い桟橋には巨大な輸送艦とともに、全長330メートルにもなる原子力空母セオドア・ルーズベルトとジョージ・H・W・ブッシュの2隻が帰港していた。
そんなアメリカ最大の海軍の町に、第二次世界大戦で連合国の司令官として戦ったダグラス・マッカーサー元帥(1880~1964年)の記念館がある。陸軍軍人として知られるマッカーサーだが、母親のメアリーはノーフォーク生まれで、同じく陸軍軍人だった父親のアーサーと1875年にこの町で結婚するなど縁は深い。市役所の旧庁舎を利用した荘厳な記念館には、元帥が生前使用したさまざまな品が展示され、有名な「コーンパイプ」やサングラスなどの私物も見ることができる。見学者はアメリカ人ばかりではなく、韓国人やフィリピン人などマッカーサーが関係した国々からの観光客の姿もあった。
家族で記念館を訪れた、ワシントン在住の中国系アメリカ人、馬青さんは「アメリカではもちろん英雄として有名ですが、中国でも第二次世界大戦を終わらせたことや朝鮮戦争でも活躍した将軍として有名です」と話した。
町の人々はいまも英雄に敬意を払う。記念館周辺は「マッカーサー広場」と呼ばれ、その前に建つショッピングモールも「マッカーサーセンター」と名付けられていた。1964年に亡くなったマッカーサーは、記念館のホール内に作られた墓地で、妻のジーンとともに静かに眠りについている。(写真・文:写真歩道局 早坂洋祐/SANKEI E XPRESS)