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DRCは、平面ブラウン管テレビ「ベガ」シリーズに初めて搭載され、一気に市場を切り開いた。ベガがあまりにも売れたため、ソニーはテレビの薄型化競争に乗り遅れてしまったが、後の液晶テレビ「ブラビア」に進化したDRCを搭載、再度巻き返した。近藤はソニーのテレビの進化に欠くことのできない人間だった。
「非常識に価値」 若手へDNA継承
近藤を見いだしたのは1995年に社長に就いた出井伸之(75、現クオンタムリープ代表)だ。近藤は他を圧倒する約400件の特許にかかわったにもかかわらず、製品化されたものが一件もなかった。社内で“異端”といわれた近藤は、異端ゆえにその能力が認められず、斬新な研究成果もなかなか取り上げられなかった。開発途上だったDRCも出井が近藤を抜擢(ばってき)しなかったら、日の目を見なかったかもしれない。
「SONY」の4文字が醸し出す自由闊達、旺盛なチャレンジ精神といった企業イメージも過去のものになっていた。活躍の場を与えた出井は2005年に退任し、近藤は09年にソニーを辞め★研究所を母体に●研究所を設立した。部下もついてきた。