記者会見する任天堂の君島達己新社長(中央)と竹田玄洋専務(右)、宮本茂専務。この3人による“トロイカ体制”に注目が集まる=9月14日、大阪市【拡大】
平成14年から社長を務めていた岩田氏は経営と開発の両方を担っていただけでなく、記者会見やインターネットによる新作ソフトの動画配信の司会をほぼ1人でこなすなど、「任天堂の顔」として活躍していた。
一方の君島氏は14年に任天堂入り。岩田氏と同様、創業家でカリスマ経営者だった故山内溥(ひろし)元社長に請われたのがきっかけだった。
24年までの10年間は米国法人の責任者として販売拡大に貢献。その後は日本で経理部門のトップに就任し、広告宣伝費を抑制するなど収益改善で手腕を発揮し27年3月期の4年ぶりの営業黒字化に貢献した。
ただ、君島氏にはゲーム開発の経験はなく、これまでは裏方に徹していた。表舞台に登場する機会が多く、ゲームファンからの人気も高かった岩田氏の役割をすべて担うのは容易ではない。
そんな君島氏がなぜ社長職に抜擢されたのか-。