往路5区を独走する青山学院の神野大地選手=2日、神奈川県箱根町【拡大】
箱根駅伝の歴史は古い。1920年に第1回大会が早稲田、慶応義塾、明治、東京高等師範学校(後の東京教育、現筑波)の「四大校駅伝競走」として実施された。
創設に尽力したのは東京高師出身の金栗四三である。日本がオリンピック初参加した12年ストックホルム大会代表2選手の一人。マラソンに出場し途中棄権、世界との差を痛感した。後進育成のためにと考えたのが箱根駅伝だ。後援は報知新聞社、その後に読売新聞社も。メディアによる露出は全国に広がり、隆盛の要因となった。メディア・スポーツの誕生である。
ラジオは53年からNHKが中継しテレビは83年から。東京12チャンネル(現テレビ東京)がダイジェスト形式で、最後のゴールだけを生中継した。