
「お客さんに驚きと感動を」と語る、鳥貴族の大倉忠司社長=大阪市浪速区の同社本社(村本聡撮影)【拡大】
プラモデル作りの一方、巨人軍の長嶋茂雄選手が大好きで、野球にも熱中した。小学生のときにみんなでチームを作り、学校対抗戦で選抜されたこともあります。ポジションはサード、打順はクリーンアップを任されていました。
東大阪には工場が立ち並んでいましたが、田畑もあちこちにあって、カエルやザリガニ取りにも熱中した。近鉄布施の駅前に(スーパーの)「ニチイ」ができたときも画期的だった。小学4、5年生のときでしたが、「わが町にも百貨店ができた」とうれしくなり、たちまち遊具コーナーやゲームコーナーが遊び場になりました。
兄は手先も器用で、父はよく「料理の世界に行け」と言っていた。私には「お前は不器用やから、おもちゃをやれ」というわけです。その兄は玩具関係の仕事に就き、私は外食チェーン…。父の言っていたのと逆になったわけです。
《高校生のとき、ビアガーデンで初めてアルバイトをしたことが、人生を左右する転機になった》