「九年前の祈り」【拡大】
祈りを一つの蝶番(ちょうつがい)として、9年前にともに旅行をした女性のことが主人公の頭をよぎる。聞けば彼女の息子は入院中だという。たしかカナダ旅行では教会で一心に何事かを祈っていた。飛行機の中で泣く子がいれば、「子供は泣くものだ」と大声で言って周囲をなだめていた。しかし、この記憶は曖昧だ。現在と過去、現実と想像とが主人公の思いの中で混濁する。しかし、主人公の大きな悲しみのなかでその区別は重要ではない。むしろこの混濁の中で息子の困難に立ち向かう2人の女性が重なり合い、2つの祈りが1つになる。祈りに必要な2つの掌は、1人の人間のものである必要はない。隣の人と手を握る時に祈りには安心が添えられる。言葉で通じ合えない者同士であってさえ、掌を重ねて一つに祈ることができる。
こうした可能性を示す表題の第152回芥川賞受賞作ほか3編を含むが、言葉を超えた祈りのありようを小説という言葉で伝えようとする作者の姿勢は通底している。読者はここで祈りの輪に誘われるかのようである。(講談社・1600円+税)
評・伊藤氏貴(文芸評論家)