「ありがとう、お父さん」【拡大】
父が歌舞伎俳優に扮(ふん)しながら見据えていた遠景は何だったのか。繰り返し押し寄せてくる病の波の中で溺れそうになりながら、しかし、死を賭して観客の待つ舞台へ駆け上がっていった父。そうまでして他者へ伝えようとしていた想(おも)いの深遠と、娘は“涙のペン”を握りながら向き合う。
私たち日本人の多くが今、明るい未来を見通せない不安の中で揺れている。だからこそ父は、「日本人の原点」にこだわった。もっと日本人は自信を持っていいのだ、と。 『勧進帳』の弁慶に、それを演じる父の心情と姿を重ね合わせて描写する娘の筆致が、私たちに明日への勇気を与えてくれる。
花道の彼方(かなた)へ、鮮やかな後姿で父は消えていった。父が遺(のこ)したリレーのバトンに、そっと手を触れる。父が見ていたあの遠景を、三回忌を過ぎた早春に、娘は深い諦観の中で同じように見据えている。(扶桑社・1700円+税)
評・横山隆晴(プロデューサー・近畿大教授)