東西住民で隔たる認識
ウクライナでは昨年(2013年)11月、親露派のビクトル・ヤヌコビッチ前大統領(63)が欧州連合(EU)との連合協定締結を棚上げし、これに抗議する大規模デモが、親欧米的な首都キエフや西部各地で起きた。長期化したこのデモは最終的に治安部隊との衝突で100人以上が死亡する流血に発展し、ヤヌコビッチ氏はロシアに逃亡した。
これを受け、ロシアは「ウクライナにファシスト政権が発足した」との壮大なプロパガンダ(政治宣伝)を展開し、「ロシア系住民の保護」を掲げてウクライナ南部クリミア半島を併合した。クリミアやロシア語使用者の多い東部では実際、多くの住民が政変後の暫定政権を「ファシスト」と称し、「右派セクターの攻撃が迫っている」と信じ込んでいた。
昨年(2013年)11月からのデモが民族主義勢力に押されて過激化したことや、政変後の暫定政権が一時、ロシア語の公的使用を制限しようとする動きを見せたことは事実だ。だが、キエフや西部の住民が「民主革命」と考えた政変を、「民族主義者のクーデター」と見なすクリミアや東部住民の認識はあまりに現実離れしていた感がある。