知床岬からわずかに東側に回った知床半島最奥の地に、赤岩と呼ばれる岩場がある。弧を描く小さな浜には漁師が夏を過ごす番屋が数軒立ち並び、コンブ漁が最盛期を迎えている。
目の前には国後島がかすむ広い海。背後に濃緑の断崖。潮が引いた浅瀬には、まるで水中の森のように海草がひしめいている。ここはまさに陸の森と海の森とがぶつかる交点のような場所だ。
知床の名はアイヌ語のシリ・エトク(大地が尖(とが)った場所)に由来する。それゆえ「地の果て」というイメージがあるが、決して人を拒絶してきた場所ではない。最先端の知床岬周辺にも土器が残り、ヒグマを捕獲した遺跡などが確認されている。昔から先住の狩猟民が利用し、山海の恵みを得てきた土地だ。その後、コンブやウニ、サケマスの漁が盛んになり、特に羅臼側は、今の最終集落の相泊(あいどまり)から先に200軒に及ぶ番屋が点在する時代もあった。
「夏には羅臼の町より番屋のある半島の方が人が多くなってな。みんなで集まって映画も観ていたんだ」と当時を知る人は懐かしむ。