海底から昇天する
けれども石牟礼道子(いしむれ・みちこ)の『祖(おや)さまの草の邑(むら)』を読んだら、籠まっているものがぜんぜん違って気色がよく、自分の手足を簡単にばさっとちぎって棄てて、どばどば血を流しながら愉快に笑い、あたりの景色をキョロキョロ見渡して、野の花が咲き雑草の茂る土手道を漫歩するなどしているような気分になった。
なぜ自分がそうなるのかというと、星の数ほどの理由があって、それらが発光したり爆発したりしながら互いに影響してそんなことになっているため簡明には言えぬのだけれども、それを無理矢理にひとつのことにして言えば、それはミックスと逆転で、それがどこまで行っても終わらず起こって、絶望をきわめることによって見えてくる花を拝み、奉る。けれどもそれ自体、絶望的なこと。絶望そのもの。といったようなことで、また、海のものが山に行き、山のものが海に行く。天空におらっしゃる神様が海底に遷り、海底からは昇天する、ということが激しく繰り返される、なんてことも起こるからであると思う。