全ての時間が同時にここに
そいで、わたし、ということもあると思う。私というものはひとつの時間の流れのなかにいて、そこから動かずに自然や世界を眺めて、いろんなことを言葉に籠めていくが、ここでのわたしはひとつの時間のなかにおらない、祖さま、たちの時間も、いま現在、同時にここにあって、というと、すぐにDNAとかいう人がいて読み狂人、すっげえ嫌なんだけれどもそうではなく、祖さまというものはもっと範囲の広い、海とか山とか草とか貝とか蚯蚓(みみず)とかそういったものも全部、含んだものでそうしたものの記憶や感覚を悼む気持ちが凝って花や詞章になっていくので、ぐわあ、ええのう、と思って、別に刀とかも要らぬ、片手で髪の毛を持ってぐっと引っ張ったら自分の首も思いの外、簡単に外れて、これを崖から投げて、おおおっ、おもしろき映像だ。ゴープロなんていらねぇぜ。と笑いながら地面に落ちて、ベチャ、と潰れてなお笑うことができるのである。