福山の黒酢の産業化は、江戸時代後期に始まります。当時、財政困窮の薩摩藩は財政再建策の一つとして、現在の宮崎県都城市山之内に寒天製造工場を設け、海外に寒天を輸出していました。その製造に欠かせなかったのが良質な「酢」でした。福山は平均気温18~20度という温暖な気候、姶良(あいら)カルデラ壁という地層からなる三方の丘から得られる豊かな水という自然環境に恵まれた土地。商業港があり、良質な米や仕込みに使う薩摩焼の壷も手に入りやすく、それまでみそやしょうゆと同様に家々で作られていた酢が、産業として発展していきました。
一般的な酢(黒酢)は、室内のタンクの中で3カ月程度で製造されますが、「かめ壷仕込み黒酢」は露天で1年以上もの長い年月をかけ静置・熟成発酵を行います。1日水に漬け込んだ玄米を蒸し器で蒸し、米麹(下麹)、蒸し玄米、地下水、米麹(老麹)の順に壷に仕込み、最後に口を紙で覆い蓋をして仕込み完了。1つのかめ壷の中で、「糖化→アルコール発酵→酢酸発酵」を行うという、世界的にも珍しい発酵法で黒酢へとその姿を変えていきます。仕込み時期は春と秋の年2回。日中太陽の日差しを浴びた壷は手で触るのも熱いくらい高温になり、昼と夜の温度差が発酵を促す一つの要因となっています。自然の力を借りて「杜氏(とうじ)」が手をかけて造る黒酢は、大量生産は難しいものの、ただ酸っぱいだけではなく、深みやコクなど独特の風味があります。