1984年12月19日、香港の主権返還を決めた「中英共同宣言」の調印文書を交換する中国の趙紫陽首相(右)と英国のマーガレット・サッチャー首相。趙首相の奥には当時の中国の最高実力者、●(=登におおざと、とう)小平氏の姿が見える=中国・首都北京市(AP)【拡大】
【国際情勢分析】
英国のマーガレット・サッチャー首相(1925~2013年)と中国の趙紫陽首相(1919~2005年)=いずれも当時=が1984年12月、香港の主権返還を決めた「中英共同宣言」に北京で調印してから、19日で30年を迎えた。だが、当時の中国の最高実力者、●(=登におおざと、とう)小平氏(1904~97年)が対英交渉で切り札にした「一国二制度」は、返還後の香港でしだいに形骸化された。民主派が「真の普通選挙」を求めて繰り広げたデモを、中国の指示で香港警察が力で押さえ込んだことからも読み取れる。
「現在は無効」と通告
香港をめぐる中英共同宣言では、97年7月1日付で主権を返還する一方、外交と防衛を除き、言論の自由を含む民主社会や資本主義経済システムなどを2047年6月30日まで50年間にわたって維持し、香港における高度な自治を保障することが重要な柱だった。
共同宣言を具現化した返還後の香港の憲法にあたる香港基本法には、行政長官と立法会(議会)の議員全員(現在は定数70)を「最終的に普通選挙」で選ぶと明記してある。