衆院選の敗北から一夜明けた2012年12月17日、首相官邸で記者団の質問に答える藤村修官房長官。藤村氏自身も落選し、選挙の結果、民主党は政権を転落した=東京都千代田区(酒巻俊介撮影)【拡大】
「病気になってくれ」
結局、藤村氏は「体調不良」を理由に委員長の辞表を提出したという。
小沢氏らが12年7月、消費税増税をめぐり民主党を集団離党したことについては「カリスマリーダーの、自らの主導権がなくなりここにいてもしようがないという政治的思惑としか思えません」と率直に語っている。このとき藤村氏は官房長官。小沢氏の言動を苦々しく思っていたのは想像に難くない。
もっとも、ガバナンス欠如の責任を小沢氏一人に押し付けるわけにはいかない。12年1月に野田首相(当時)は内閣改造を行った。このとき退任した平岡秀夫法相(当時)についてこう語っている。
「参議院の委員会や、衆議院でもそうだったでしょうか、ちょっと持論を展開し、政府の立場で言うべきではない発言が幾つかあり、そのたびに注意したりしていましたが、なかなか直らないというのもありました」