黒石寺の薬師如来坐像は、東京では初公開。くり抜かれた内側に、像をつくるのを願った人の名前、「貞観四年」(862年)が記され、制作年が特定できる。坂上田村麻呂が黒石寺から12キロ離れた場所に胆沢城を建てた802(延暦21)年からわずか60年後の制作。肩が張り、目尻がつり上がり、口元も引き締まった表情は、蝦夷征伐の戦いが繰り広げられた過酷な時代を反映しているのかもしれない。
難を逃れた美しい姿
宮城県の牡鹿半島の高台にまつられていた高さ2.9メートルの重要文化財「十一面観音菩薩立像」(鎌倉時代14世紀、給分浜観音堂)も東京初公開。東日本大震災では大津波が押し寄せたが、仏像は難を逃れた。これほど大きな仏像は平安、鎌倉期には類がない。集落では、漁や航海に出る人々を見守る仏、“灯台”のような存在だったとみられている。
岩手・天台寺の聖観音菩薩立像は、美しい姿、とくに鑿(のみ)の跡が特徴の仏像として人気がある。当初は、未完成と思われていたが、全身を浅い鑿で整えたうえに、さらに粗い鑿を施していることから、独特の“表現”であると解釈が変わった。こうした荒い仕上げの仏像は数十体あり、大半が関東から東北に見られるという。