津波発生わずか3週間後の31日には、東京国立博物館や岩手県立博物館などが連携し、津波で流出した文化財を“救出”するレスキュー委員会(1次レスキュー延べ7000人)が組織された。陸前高田市が収蔵していた文化財は約56万点あり、そのうち46万点が回収された。岩手県の文化財被害は、この市の被害が大半を占めた。
それだけ文化財が集積していたのは、宮沢賢治とも交流のあった地元の博物学者・鳥羽源蔵氏(1872~1946年)が植物を中心に採集した標本が多かったことも要因。文化財はほかに、貝類や昆虫、縄文中期の土器、漁具、絵画、「高田歌舞伎」の衣装…。さらには1600年代から、庄屋にあたる「大肝煎(おおきもいり)の吉田家が伊達藩に報告するために地域の情勢について記録した「吉田家文書」と、文書に記録のある隕石(いんせき)などもあり、広範囲だ。
難しい塩分抜く処理
レスキュー隊のスピーディーな対応は、20年前の阪神大震災でできなかったことを教訓に「躊躇(ちゅうちょ)しないでアクションを起こすことにつながった」(神庭信幸・保存修復課長)。東京国立博物館が、こうした復興活動に乗り出したのは初めてという。