【BOOKWARE】
年齢のせいもあるかもしれないが、ぼくはキンドルなどの電子ブックリーダーをゼッタイ使わない。すべての本は「製本された書物」として読んできたし、今後もそうするつもりだ。きっともっと若くてもそうするだろう。ぼくにとっての書物は、どんなに薄いものであっても、そこに「手ざわり」や「厚み」や「重み」が感じられることなのである。
かつて禁書や焚書(ふんしょ)がまかり通っていたことがあった。戦前の日本では多くの思想書が発禁になったり、黒塗りされていた。キリスト教社会でも多くの書物が禁書扱いされて、焼かれたり修道院の図書館の裏側に隠された。ショーン・コネリー主演の映画にもなったウンベルト・エーコの傑作小説『薔薇の名前』は、そうしたキリスト教社会における禁書の秘密を暴いたものだった。古くは秦の始皇帝が大量の書物を焚書した思想統制の例もある。
レイ・ブラッドベリの『華氏451度』には焚書官が登場する。時の政府が禁止した書物を片っ端から焼いていく役目を担っている。ブラッドベリは当時のアメリカに吹き荒れていた忌まわしいマッカーシズム(赤狩り)を揶揄するため、未来社会に舞台を移してこのSFを書いた。不思議なタイトルは、書物が自然発火する温度をあらわしている。傑作だった。