吉岡家は200年ほど前から染屋だった。四条西洞院を上がったところに発祥したそうだ。維新後に綾小路西洞院へ、昭和30(1955)年すぎて伏見に染場を移した。ぼくが生まれたのは綾小路室町である。なんだかけっこう近いところで宵山や大文字を楽しんできたのだということが、二人で四方山あとで話をしているうちに判明した。ただぼくは早稲田のあとも東京に残ったけれど、吉岡さんのその後は京都を大きな拠点にし、その見聞を深くも広くもしていった。色や装束だけでなく、数寄屋にも食にも通暁していることは、『京都の意匠』I・II(建築資料研究社)や『京都人の舌つづみ』(PHP新書)を読んでも伝わってくる。とくに食道楽については群を抜いていて、とても追いつけない。
でも、吉岡さんはやっぱり色である。「染司よしおか」の秘技によって巷間に知られるようになった日本の数々の色たちは譬えようもなくすばらしく、これこそは日本の文化力の結晶の見本というべきなのだ。まずは『日本の色辞典』の209色の単色を堪能してほしい。しかし、ぼくをさらに驚かせたのは、『王朝のかさね色辞典』にも収録された「襲」(かさね)の絶妙だった。240種の配色が黒谷和紙と生絹(すずし)にみごとに再現されている。(編集工学研究所所長・イシス編集学校校長 松岡正剛/SANKEI EXPRESS)