戦後間もない美術界は、さまざまな価値観が入り乱れていた。戦前から日本に影響を与えていたシュールレアリスムや、戦後の日本で吹き荒れた抽象画の「アンフォルメル旋風」に染まり、一時は「蠢(うごめ)く」(初公開)のような作品も描く。
しかし、抽象画にとどまることはできず、59年にフランスに渡ったのを皮切りに、描きたいもの、描かなければならないものを求めて外国を放浪する旅が始まった。そして一時的な帰国を除いて77年に神戸に戻るまで続く。その間の69年には「静止した刻(とき)」で「安井賞」を受賞。日本での評価は定まったが、放浪は終わらなかった。訪れた国はフランスのほかに、ブラジル、ボリビア、ペルー、イタリア、スペインに及んだ。
なかでもスペインのラ・マンチャ地方の村、バルデペーニャスでの生活では、村人と親しく交流した。酒におぼれる酔っぱらいや、戦争で手足を失った元軍人、貧しい老婆たちなど社会の底辺に生きる人々と知り合い、描いた。このモチーフが、晩年の自画像と重なり合って、生涯のテーマになった。