【アートクルーズ】
私の古里、秩父では、高度経済成長期のころ、山間の村がいくつか消えた。消えたといっても、蒸発したわけではない。新しくできるダムの底に水没したのである。いま、ひなびた集落のあった場所には、広い人工湖と堅牢(けんろう)なコンクリートの建造物が位置し、かつての面影はない。代わりに作られた小さな石碑だけが、むかしここにあった家の名と戸数を伝えるだけだ。
陸前高田の現在
古里が消える-それも根こそぎに。この感覚を、私たちは東日本大震災が起きることで、いま一度、痛切に思い出させられている。もっとも、他方でこれは、まったく新たな事態でもある。この大震災は、地震と津波、そして原子力発電所からの大規模な放射性物質漏れという、これまで誰も経験したことがない、未知の事故からなる複合災害だからだ。
これにより、数えきれないくらいの人たちが古里を失い、震災から5年目の今年になっても、いつ帰れるかもしれない、仮住まいの生活を余儀なくされている。津波で土地ごと流された者と、放射能汚染され帰れなくなった者とでは、境遇の違いもあるだろう。しかし、かつてこれほどの数の人たちが離散し、家を失ったことはないのではないか。とうてい、ダムの比ではない。