1960年代に繰り広げられた米ソ宇宙開発競争の最前線の街、アラバマ州ハンツビル。アメリカ宇宙開発の父と呼ばれるフォン・ブラウン博士(1912~1977年)は、「ロケットシティ」と呼ばれるこの街にある「マーシャル宇宙飛行センター」で初代所長を務めた。
ドイツの貴族の家に生まれたブラウン博士は、第二次大戦中、ナチス・ドイツのミサイル兵器「V2ロケット」の開発に携わったが、敗戦直前にアメリカへ亡命。戦後は、宇宙探査という平和利用のためのロケット開発に尽力する。
57年に、旧ソ連がアメリカに先んじて世界初の人工衛星打ち上げに成功。宇宙開発の最先端を自負していたアメリカは大きなショックを受けた。
そんな中、ジョン・F・ケネディ大統領の指揮下で始まった月面着陸計画(アポロ計画)は、宇宙開発においてアメリカが再び世界をリードするための最重要課題となった。ブラウン博士らは、アメリカの威信をかけ、マーシャル宇宙飛行センターで宇宙飛行士を月に運ぶためサターンV型ロケットの開発に着手。69年7月20日。全世界でおよそ5億8000万人もの視聴者がテレビの前にくぎ付けとなり、誰もが夜空を見上げたその日、サターンV型ロケットは人類を初めて月まで運んだ。