つまり、愉快にしていてそれがなくなってしまったのなら、不愉快だ、と怒ればよい。でも普通にしていてそれがなくなったのであれば、不普通だ、と言うべきで、不愉快、というのは言い過ぎではないか、百円しか損していないのに万円の損をしたように言いふらしているのと同じではないか、と感じてしまうのである。
という風に考えると一般に言われる不愉快は確かに愉快の反対側にあるが、その間には広大な、普通、の領域があり、愉快と不愉快はその普通両極のほんの僅かな領域を占めるに過ぎず、愉快な状態から急転直下、不愉快な状態になることはない、と言うことができる。
はずであった。しかしいまその理論が根底から覆った西村賢太の『痴者の食卓』を読んだからである。本書に収録されたる六編の短編小説は北町貫多という主人公の名前からもそれと知れるようにいずれも私小説で、北町貫多とその妻、秋恵の日常が北町貫多の考えや感情の動きとともに描かれている。