マジックで飛び越える
と言うとどういう物語を思い浮かべるだろうか。頭の中がいつも愉快の側に触れている祝着至極な人なら、老夫婦が自然や芸術に触れつつ丁寧に暮らす日常のなかでふと出会う人生の真実と愛情、みたいな物語を思い浮かべるのかも知れないがそうではなく、ドメスティックバイオレンスというのだろうか、少年時代の辛い経験などが原因で感情をうまく制御できない主人公がその妻を肉体的精神的に追い詰めてはそのことを悔いる、という苦しい日常がここでは描かれている。
ということは本来、不愉快な話で右に確立したはずの読み狂人の理論に拠ればそれを読む人の気持ちは不愉快の極地層にあって、かつまた分厚い普通層に阻まれて反対側の愉快層の極地には絶対に届かないはずである。
ところが驚くべきことにこの小説はその普通の層を易々と飛び越えて不愉快にして愉快、というあり得ない状態を実現しており、読んでたのしい物語となっているのである。