200万人以上が餓死したとされる90年代後半には一転して、食べる物にも事欠き、「死ぬまでには日本に帰りたい」との母親の願いもあって、民間団体の支援で脱北を決心する。
2000年代初頭に神奈川県で暮らし始め、日本国籍を得る。当初は日本語をほとんど話せず、苦学の末、サービス業で自活できるまでになった。周囲の印象は「真面目でスマート」。周囲の支援に感謝する姿も知人は覚えている。
だが、北朝鮮に残る妹らを心配し、数年前から中朝国境都市を行き来するようになる。北朝鮮事情に詳しいことからメディア関係者らに情報提供をすることもあった。日本での友人も限られる中、「提供した情報を喜んでもらえることにやりがいを感じていたのではないか」(知人)。
軍事愛好家との証言
一方、沿岸部の浙江省平陽県で5月に拘束されたという愛知県の50代男性は、地元中国人経営の調査・人材派遣会社に勤め、この地域を頻繁に往来していた。
付近では、昨年から空軍施設の建設が始まったほか、尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺を巡回する海警局の基地建設も予定される。「男性は軍事愛好者だったようだ」との証言もある。