ふつう、名人が香車を引くことはあるが、名人に香車を引くということはありえない。そもそもプロ棋士の正規戦にはハンディキャップ戦がない。もしそういうことがあるとすれば、「一番手直り」の連続勝負が認められたときだけで、俗に「指しおろし」というものだ。升田はなんとこれをめがけて猛進した。
が、木村にはあと一歩のところで負けた。こうして次の名人・大山康晴(やすはる)との悲願の対戦になる。大山は弟弟子にあたるのだが、何度戦っても連戦連敗だ。攻めの升田が守りの大山を崩せない。それが昭和31年正月の王将戦七番勝負で升田が連勝をして、ついに第4局で香落ちの升田が名人を破るという快挙となった。棋譜を掲載していた週刊朝日は「将棋四百年の大波乱」を報じた。
升田には武勇伝がいろいろ伝わっている。痛快なのはGHQを煙に巻いた話だ。日本の庶民に剣道や将棋が親しまれて武士道が愛されているのは危険ではないかというので、升田もGHQに呼ばれたのだが、「おのれを磨くのが武士道だ」と切り返し、将棋が取った駒を使うのは捕虜虐待ではないかと言ういちゃもんに対しては、「チェスのように取った駒を使わないほうが虐待だ。相手の能力を尊重しているのが日本の将棋だ」と論破した。そしてこう言ってのけたのである。「敵から駒を取っても金は金、飛車は飛車として元の役職のまま使う。あのね、これこそがニッポンの本当の民主主義なんだ」。