≪らせん状のディアデマ≫(日本初公開)。紀元前4世紀末-紀元前3世紀初頭。金。ブルガリア、スヴェシュタリ出土ソフィア国立考古学研究所・博物館。(National_Institute_of_Archaeology_with_Museum-Sofia,Bulgaria提供)【拡大】
とくに「第43号墓」からは、石おのや銅製のやり先など武器のほかに、指輪や円形の飾りなど重量1.5キロを超える金製品が発見された。人骨は50~65歳の男性とみられる。墓の中でとび抜けてたくさんの金製品が埋められたことから、「共同体では最も重要な人物だったと思われる」(飯塚隆研究員)が、どんな社会のどんな地位だったかは不明だ。
ブルガリアの南東部、黒海の沿岸は古代から金の産地として知られていたという。ヴァルナの辺りには古代ギリシャ時代、「トラキア」と呼ばれる国もあった。「イリアス」や「オデュッセイア」で知られる詩人ホメロス(紀元前8世紀?)は、トラキアの王を「途方もなく大きな金器をたずさえ、黄金で飾られた馬車で駆けつけた」と描写している。
命懸けの冒険
黒海地方に黄金を求める冒険も「伝説」となった。古代ギリシャの英雄イアソンは、黒海沿岸の町コルキスの王の手に渡った「黄金の羊の毛皮」を求め、エーゲ海から黒海に向かう「アルゴー船」に乗りこむ。首尾良く王の財宝を手に入れたイアソンの船が、追っ手の船に捕まろうとするとき、イアソンに恋した王の娘メディアが、連れてきた弟を海に突き落として逃げる時間をかせぐ。